« 里海と里山について(4) | トップページ | [季刊里海]刊行にあたって »

2006年9月30日 (土)

里海と里山について(5)

波平さんのコメントに答えて(その5)

(24)ようするに、こんなにも海を愛し、自らの命を賭してでも一人ぼっちで愛艇「はまちどり」を操り日本一周の海に遊び、海の男、海の人間の交流を求めている波平さんを、「オラガ港」に入れないで締め出すような、心の狭い「浜」の人間で構成する漁村・漁協では、荒廃し死滅が続く日本の海でサバイバルゲームには勝ち残りをはかれないのではないか、と思うのです。

(25)それ以上に、これはたとえ話ですが、この、もっとも従来の漁業という生産の枠組みには入らない、命を削ってでも遊びのきままな釣りが好きで、海を愛し続けるこの自由〝老〟人を、三顧の礼をもって組合長に迎えて漁協経営に手助けを求める(もっともこういう束縛がいやでオヤクショをやめられたのでしたね。だからたとえ話です)とか、このような愛すべき海好きな自由人を講師陣に迎えた「ニッポン海遊大学」を設立するとか、脱サラして5年間無償のボランティアで海の環境教育的活動にささげた人には、特別組合員枠で「漁業権」が持てるようになるとか、すくなくともこれまでの海の利用制度にほとんど手をつけることなく、漁業という狭義の労働行為の解釈のハバを緩やかに持たせ(手法はどうあれ)たり、非営利の環境教育的利用を漁業制度の中に位置づけるとか、いろいろアイデアは、そうした自然をこよなく愛す自由人としての遊びのプロの人たちからもたくさん学ぶことができるはずです。

(26)「漁業」活性化という発想に、ほんのすこしだけの反省と智恵をかみ合わせることで、「海と労働」の場を管理する人々の集団を担い手として、沿海地域に暮らす人々を巻き込んだ新しい産業の位置づけができたらいいなあ、とそういう思いが「里海」の言葉に込められているのです。

(27)私がはなすと、「漁業権」の市民的利用の位置づけを言外に込めながら語ることになったりで、いつもたいへんにしち面倒くさいモノになりますので、わたしのワカランチンの弁舌は、あんまり述べないように致します。こうした新しい枠組みの参考となりそうな「里海」運動と呼べる活動を始めているいろいろな人にスポットをあてて、読者に興味を持っていただけるような、いろいろな「里海」(や「里山」や川や森や水辺)の姿を提示していきたいと思います。

(「里海と里山について」の項―おわり)MANA

(1)に戻る

|

« 里海と里山について(4) | トップページ | [季刊里海]刊行にあたって »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/163640/3801079

この記事へのトラックバック一覧です: 里海と里山について(5):

« 里海と里山について(4) | トップページ | [季刊里海]刊行にあたって »