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2006年9月21日 (木)

ブログの可能性について(1)

 これからブログの可能性について、僕がかかわってきた専門ジャンルの表現方法の拡大応用実験に生かせないのかを考えてみることにしました。

 本づくりやライター稼業をしてきたものとして、昔から、もっとテーマを掘り下げて、じっくりと腰をすえたような、しかも面白い雑誌はないのか、もっとわかりやすい表現方法はないのかをずっと考えてきました。

 つまり、僕がこの30年間かかわってきたテーマをできるだけ簡潔に示すとすれば、〈海と人々とのかかわりについて、「管理」や「利用」や「所有」という、しちめんどうくさい解釈軸を介して、いまの人間にとって「使い勝手のよい」海という場にするには、どういうシステムがふさわしいのか〉を考える、ということです。こんなことは、法律家や官僚やその筋の専門の学者に任せて置けばよいじゃないか、といわれそうです。

 でも、こと「海」に関しては、海と人のかかわり方を論述(政策も含めて)したり、提案されているものを、読む限り(僕自身が勉強した範囲に過ぎないけれども)、専門ジャンルとしては優れたものであることは理解できるのですが、どうも、いまひとつ実態とはズレていたり、説得力をもって迫ってくるような「わかりやすい」ものはそんなに多くないように思えたのです。

 (続き)その理由をずっと考えてきました。「海」のような自然域についての「管理」と「利用」についてまでは、たくさんの研究者が、専門、専門外、自然科学、社会科学いろいろなジャンルで論じられてきました。海に関係する「マスコミ」や「評論」のジャンルでも、これまで多くの方が発言してきました。

 ところが、こと「所有」となると話が違ってきます。このテーマにどのようにかかわるのかになると、きちんと論述しているものが極減します。例えば、「海は誰のものだろう?」という問いについては、こう問いかける論者も多いし、けっこう国民一般のレベルで興味を示してくれるひとが多いのだろうと思います。この「誰のもの」ということは、つまり、海は誰かの「所有」物なのだろうか?ということです。しかし、この問いに、きちんと納得がいくような答えを出しているでしょうか。研究者の世界でも「なかなかひとすじなわではいかない」テーマなのです。

 ただ、中には、そんな議論は、もう解決済みだ、とどこかで声が聞えてきそうですね。あるいは、「所有」なんてことをあらためて持ち出さなくても、海を人が利用するシステムは解明済みなんだ、という声も聞えてきます。

 [季刊里海]では、このようなテーマを、海だけではなく山や川の自然領域と人間とのかかわりによっておこるできごとをとおして、すこしでもその答にせまるような記事を載せていこうと思っています。ブログ版[季刊里海]通信は、一度アナログの活字文章として掲載した一つ一つの記事についての読者のお便り、ご批判などの声を載せていくには、格好の速報媒体でしょう。雑誌記事とブログ記事との関連付けもできますから、次号編集にも生かせるはずです。一つのテーマについて、印刷媒体として公表する記事と、誰でもが直感的にコメントを出せるブログとの意見の交流から、新しいテーマも生まれてくるでしょう。こんな期待をこめて、〝1号雑誌〟〝3号雑誌〟の揶揄を受けないようがんばって参ります。

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