« 里海から地域の仕組みを考える | トップページ | 多摩川河口で発見されたアサクサノリの鑑定論文が掲載されました »

2006年12月11日 (月)

今なぜ「海洋基本法」なのだろう?(その1)

「海洋基本法」上程の記事を読んで

 教育基本法が成立したことと関係があるかどうかは不明としか言いようがありませんが、12月6日、読売新聞朝刊のトップに、もう一つの基本法の記事が載ったことの意味について、気づいたひとは、どれぐらいいるのでしょうか。

 「海洋政策一元化へ担当相」「大陸棚開発、海運、環境…… 内閣府に〝総合会議〟」「海洋基本法与党素案」というタイトルの記事です。読売新聞のトップ記事(おそらくトクダネ―つまり他新聞では載らなかった)ですから、それはそれは眼を通した人は、ものすごく多いでしょうが、この記事について、それをさらに突っ込んで、国が海について、担当大臣を設けてまで、深くかかわりを持ち、そして4面の囲み記事(素案要旨)に「(国―MANA)全体として検討される必要があることにかんがみ、海洋管理は、総合的・計画的に行わなければならない。」([総則]の条文案)とする海についての国の政策(構想)が打ち出されたことについて、その意義・意味(もくろみ)について考えてみる必要を感じたひとは、どれぐらいいるのでしょうか。

 別にたいした評論をしようとしているわけではないのですが、日本の海は、この現在に到るまで、国が、「総合的・計画的」に管理をする対象になっていなかったことの事実を、「漁業法」の歴史、浜本幸生さんの言葉でいえば「漁業法の哲学」を勉強している人間として理解していると考えているだけに、なにを、「総合的・計画的」に管理しようとしているのか、について、ふと、???の気(心配性ゆえの)がおこったことは、確かなことです。

 あんまり長い文章を書くとくたびれるので、読売の記事によって「海洋基本法」という考えが国でだいぶ前から議論されて、成立を前提に準備してきたこと、そして、その成立を、できるならば、次期通常国会にかけて通過させようと考えていることが、まず読みとれるわけです。

 なぜ、いま、担当相をきめて、事実上の「海洋省」構想が実現されようとしているのでしょうか。このことを書こうとすると、MANAの手に負えないむずかしい国家論にまでたどり着きそうなので、とりあえずは、「海洋基本法」(案)が構想されてきた事実のみを、小生の知る範囲内で簡潔に紹介しておくことにとどめることに致します。

(「その2」につづく)

MANA(なかじまみつる)

|

« 里海から地域の仕組みを考える | トップページ | 多摩川河口で発見されたアサクサノリの鑑定論文が掲載されました »

コメント

本稿を書いてから、だいぶ時間がたち、いろいろな方からのご意見をいただき、たくさんのアクセスをいただきました。すでに、法の制定後、2008年4月には、法に基づく「海洋基本計画」が定められています。制定前にまとめた記事ですが、この考え方の基本ベースは、現在になっても、変わりありません。本法とほとんど同時に法案ができていた「宇宙基本法」も国会成立をみて、さらに、本稿で指摘した、問題は、さらに深刻度を増しているといえましょう。政権党の公明党はもとより、民主党なども賛成して全会一致状況となって、「基本法」ならなんでも通過させてしまう国会に、なんか「おかしいな」と感じるのは、私だけでしょうか。

投稿: MANA(なかじまみつる) | 2008年8月 9日 (土) 05時57分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 今なぜ「海洋基本法」なのだろう?(その1):

« 里海から地域の仕組みを考える | トップページ | 多摩川河口で発見されたアサクサノリの鑑定論文が掲載されました »