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2007年1月17日 (水)

海はだれのもの?

海洋の権利を考える―浜本幸生VS熊本一規対談から

 そもそも「海」に権利を設定するとはどういうことなのでしょう。ズバリいえば「海はだれのものか」という自然領域における所有と管理システムの根幹の考えなのですが、これをわかりやすく解説した文章がありますので紹介しておきましょう。

 わたし(MANA)も共著者として加わった漁業法・漁業権の大先生(いま亡くなられてつくづく漁業法のカミサマになったんだなあと思います)浜本幸生さんの監修・著である「海の『守り人』論―徹底検証・漁業権と地先権」(1996年)のなかで、浜本さんと明治学院大学教授の熊本一規さんとの対談記事「海はだれのものだろうか―総有の創造をテーマに」の冒頭部分(195~199ページ)に、ちょうどこの問いに対する話題が話されています。

 以下、その部分の引用です。

公有水面とはなにを意味するのか

 熊本  まず海はだれのものかということから始めたいと思います。明治8(1875)年に海面官有宣言が出されます。そして、翌年に撤回されますが、この間に、明治政府の大蔵省と内務省との間で海面所有論争が展開される。内務省が海面官有説で、大蔵省が公有水面説で争ったわけです。

 すなわち、海面は官有、国の所有に属するという意見と、海面は公有水面であるから政府の所有に属するのではないという意見がまっこうから衝突した。結局は太政官、現在でいえば総理大臣が、大蔵省の公有水面説に軍配をあげました。これによって海面官有宣言が撤回されたというように理解していいのですか。

 浜本   ただし、条件がありました。内務省は、自説をすべて引っ込めたわけではないのです。この考えは、現在まであいかわらず持っています。たとえば建設省では、「領海内は建設省所管の国有財産である。」とまでいっている。内務省側は、明治23(1890)年に「官有地取扱規則」を制定していますが、この規則のなかで、いわゆる「官に属する公有水面」(すなわち国有水面のこと)の使用は許可制として、水面使用料を徴収することになっています。これを建設省〔現・国土交通省―MANA〕では現在でも踏襲しています。
 しかし、海面の官有か公有水面かの論争に付随して、漁業権は「公権」か「私権」かの論争がありました。すなわち、漁業のために海面を使用するには官有の海面を借用しなければいけないという公権論と、漁業権は、従来から藩主の免許という行政処分で設定されていたが、その性質は私権であるという意見です。そして、海面官有宣言の撤回によって、大蔵省側の主張した、漁業権は公有水面で漁業を営む権利である私権であることの決着をみています。

公有水面と公共用水面の整理

 熊本   公有水面埋立法には、「国に属する公有水面」という表現がありますが、そのときのなごりということなのでしょうか。

 浜本  そういうように解釈をすべきであると思います。

 熊本  そうしますと、海が公共用水面であるというのは、海面官有宣言の撤回に伴って確立したと考えていわけですね。

 浜本  公有水面と公共用水面の言葉の整理をしておきましょうか。漁業法でいう場合の「公有水面」は、明治34年制定漁業法〔いわゆる「明治漁業法」―MANA〕でいう「公有水面」のことです。公有水面埋立法に書かれている「国の所有に属する水面」ということではないのです。明治漁業法立法当初から「公有水面」は、公共用水面と同じ意味であるという立法趣旨になっています。明治43(1910)年に漁業法の全部改正でこの「公有水面」は、「公共用水面」とその表現が変わりましたが、意義には変わりがありません。現在の漁業法でいう「公共の用に供する水面」と同じ意味です。

 現在でも、水面に関する権利、たとえば、公有水面埋立法による公有水面埋立権や河川法による水利権などについては、それが公権か私権かという議論があります。水面に関する権利は、公有水面埋立権などほとんどが公権と解釈されます。しかし、漁業権については、先ほど申しましたように議論の余地なく私権であることが確立されているのです。

公共用水面利用と地先権

 熊本  公共用水面ですから、万民に開かれている水面である。いろいろな人がいろいろな利用の仕方で利用できる水面になったわけですね。そして、そのいろいろな利用の仕方の一つに漁業を営む権利もあって、漁業権もそのなかの一つであるということになった。しかし、漁民の意識としては、「われわれの海」とか、第1編で浜本さんがいわれる「地先権」というような権利意識がずっと続いている。慣習のなかでその意識が続いているということになるのですね。

 浜本  わたしが地先権をいっている意味は、日本社会が、地先権という慣習を認めているということなのです。潮干狩りとか、地先の海を利用するときに、地元の漁協に海面使用料を支払いますね。その支払うときの根拠が、地先権に慣習があることをものがたっているのです。

 熊本  このことが、現在いろいろな海の利用の仕方をする人が増えてきていることに伴う問題としてクローズアップされてきたということでしょう。

 浜本  そうなのです。海の利用者は増えたけれども、一方で、漁業権者、入漁権者の同意があれば海面の埋め立てができるということは、その裏側に慣習上の地先権者が同意をすればいいということを見ているんだということを理解すべきです。わたしはそう思っている。だから、日本社会が地先権の存在を公認しているということが、公有水面埋立法にある漁業権者、入漁権者の同意があれば、「やむを得ない」とか、「いたしかたない」という感情を抱くのと同じだといっているわけです。公有水面埋立法もうまい立法の仕方をしたものですよ。

海面上のさまざまな権利について

 熊本  同意のうえで慣習を利用しているわけですが、法律的にいえば、海面には漁業権者、入漁権者以外にもいろいろな権利がある。その意味から、それらの権利を無視して埋め立てていいということにはなりません。

 浜本  そうです。それで、公有水面埋立法では、第5条で「公有水面に関し権利を有するもの」として物権であるものをならべている。引水権とか、排水権をあげています。しかし、漁業権、入漁権を除いて、これらの権利がどれほどの埋め立てのチェック作用あるいは促進作用をしたかどうかは、功績も害のどちらもないようです。漁業権以外の物権である引水権とか排水権はまだ、裁判所も認めていないと思います。

 以上、引用終わりです。

 どうですか、論文じゃないからわかりやすいと思います。国土交通省と海洋とのかかわりと、海洋における漁業権の私権としての位置づけわかりましたか。なんとなく、海はだれのものか?という問いにたいする、それぞれの立場のひとがどう理解したらよいか、考えるきっかけになるのではないでしょうか。

 この考え方に反論を唱える立場の人もいるし、そういう法律学者の人もたくさんおられるのですが、公権論、私権論のどちらが正しいのかという学説論争はペンディングしておいても、一ついえることは、現在まで、浜本さんと熊本さんが語っている内容のことが、現実に実体として沿海域の権利関係として続いてきたことを否定することはできないことだけは確かなことなのです。これがポイントなのです。

BY MANA(中島 満)

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