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2007年1月10日 (水)

今なぜ「海洋基本法」なのだろう?(その2)

海洋基本法について考える

(1)問題点の整理

 年末に記した表題(その1)の続きを年頭に当たって整理してみることにします。

 読売新聞の12月6日記事のあと、12月31日同誌論説記事「[海洋基本法]なかったことの方が不思議だ」が載りました。その骨子は、国連海洋法条約発効後、周辺隣国である中国や韓国では、排他的経済水域や大陸棚、領海の自国権限を強化するために海洋関係の行政部局の統合新設により権限の集中化をはかってきたが、日本は、旧態依然とした縦割り行政によって、対外的権利主張のタイミングを遅らせ、あるいは海洋環境政策面でも立ち遅れており、結論として「海洋国家にふさわしい体制と戦略を整える時」として、今通常国会で成立させるべき、と書きました。

 私は、この社説氏の指摘は、基本的な点ではごく当たり前で、そのとおりであろうと思います。つまり、「国益」を守るという立場からは、海洋法条約発効後、既存法規の整合性を維持するための法改正は、関係省庁によってなされましたが、日本の周辺海域の資源利用や管理について、関係省庁の既得権益や沿岸地域の地先に存在する私的・地域的財産権等の諸権利の処遇という枠を越えて、現状と方向について総合した論議とその結論はペンディングされてきたままだったのです。

 だから、議論はすべきなのです。宣言法(計画法の両方の性格を持っているようです)としての基本法制定は時宜を得ているものかもしれませんし、こうした動きをむげに批判しようというつもりもありません。

 しかし、海洋基本法構想の経緯と制定意図について、新聞論調にある「国益」論以前に、日本の国と海洋の係わり方の根幹にかかる重要な国家政策についての方針変更が背景にあるということが、意外に知らされていない(あるいは気づいていないのか、重要問題ではないと考えてきたのか)ことがあるということについて指摘してみたいのです。

 指摘した背景にある議論が公開されなかったわけではありません。確かに、海洋基本法案(議員立法)の法律制定を促す意味もあって、法の趣旨骨格を研究するために、国土交通省が主導して、平成12年に「21世紀の国土のグランドデザイン推進連絡会議」(平成10年閣議決定された第5次全総にあたる「21世紀の国土のグランドデザイン」推進のためにもうけられました)の「沿岸域圏総合管理計画策定のための指針」にもとづき、平成13年以来「沿岸域総合管理研究会」が設置され検討を重ねてきています。また、主に国土交通省の意向を受けるかたちで、財団法人シップ・アンド・オーシャン財団(日本財団)の平成13年度事業で実施された「21世紀におけるわが国の海洋ビジョンに関する調査研究」によって、膨大な報告書のデータが公開されています。そして、平成14年には、海洋基本法制定を提案した「21世紀におけるわが国における海洋政策に関する提言」がまとめられています。

 また、同財団内の海洋政策研究所が、一般国民に向けたわかりやすいガイダンス的な「人と海洋の共生をめざして150人のオピニオン」というやはりプリント枚数にしてA4版300枚を越える文書も公表されています。(すべて、ネットで公開をされPDFによって読めますので、私も関係箇所を読み、関係セクションの専門家や市民、環境保護論者たちの小論文・エッセイを読んできました。それぞれ、相当にお金をかけて専門家に依頼しているであろうだけに、とても興味深い論述が展開されているものが多いのです。)

 ポスト海洋法条約発効後の水産セクションの研究の動向は、水産基本法制定(平成13・2002年)を前後して、資源(管理利用)研究および漁業漁村の多面的機能研究としてその成果が公表されてきました。

 では、ここまで書いた、新聞論調と制定への動きのなかで、私が感じる問題点のいくつかを整理をしておきましょう。

(2)沿岸域(圏)の位置づけはどうなっているのだろう?

 つまり、21世紀の海洋の利用と管理について、前述したように、海洋基本法制定のための研究の重要な柱である「沿岸域(圏)」の位置づけを、「素案要旨」を読む限りにおいては、意識的に除かれているのか、あるいは「海洋」という大きな概念に包摂させることで、「総合化」のなかに含めているから、それで良しとしているのか、いずれにしても、言葉としては触れられていない、ということに気づきます。

 読売で公表された記事についてだけで、わたしは、とりあえず書いているので、記者発表文書には記述されているかもしれませんし、また、補足説明文書(レクチュアーメモ)には触れているのかもしれません。また、これから詰めるのだ、というのかもしれませんが、国の根幹事項である「総合海洋政策」を論議するときに、沿岸域を想定しない海洋など存在しないわけですから、いかに、素案要旨とはいえ、記者の理解に説明を与えるためのリードぐらいは必要なんじゃないかなあ、という率直な感想を持ちました。

(3)国益がかかるという重要法案がなぜ議員立法なのだろう?

 これだけ大事な法案なのに、政府提案でなく、議員立法による制定を目指しているということも指摘しておきたいと思います。

 つぎに感じたのは、総則で記されている「海洋管理は、総合的・計画的に行われなければならない。」とある箇所です。そして、次の「国の責務」とある「国は、海洋管理に関する諸施策の総合調整を行うための行政機構、法制度の整備を行い……」というところの「総合調整」とは、どういう調整なのかなあと、いうことに関して、注意を払う必要があるように感じました。

(4)「総合」「計画」が語られるときの実体は?

 つまり、国が「総合」と「計画」をいうときには、宣言法(計画法でもあるようです)ですから、細かく書かなくて理念のみ記されます。しかし、制定後、具体的な機構改革や法整備で、その内容を、実質的に国民の知ることのできる段階になったとき、こんなことは、そこに含まれているとは思って、いなかったはずなのになあ、とわかったとしても、その時は、すでにおそし、となるのが常だからです。合法的な手続きを経た決定事項となりますから、異議をとなえようとも受け入れられることはないでしょう。

 「総合」と「計画」の言葉が出てきたときには、急ぎは禁物、じっくりとなかみを検討してみる必要があるというのが、私が、一応分析能力を持ちえた1970年代から現代までの歴史の中での教訓的に、体に染み付いていることなのです。

(5)「開発」という言葉が消えただけではないのか?

 この期間、高度経済成長を支えた経済政策の根幹にしばしば使われてきた、たとえば「全国総合開発計画」の「開発」という用語を一応取り除くと、のこった言葉が「総合」と「計画」になるでしょう。この全国総合開発計画と次の新全国総合開発計画の「基本理念」となっている基本「目標」についた標語は、「豊かな環境の創造」でした。そして、前述した、第5次全総にあたる「21世紀の国土のグランドデザイン」(平成10年閣議決定、目標年は平成22年から27年)のサブタイトル(標語)が「地域の自立の促進と美しい国土の創造」という羅列型のフレキシブルな計画内容を盛り込んで「美しい国土」(とは何かわからないけれど……)です。この30年の間に、国の国土についてめざす方向が「豊かさ」から「美しさ」に変化したことにも表れています。

 しかし、これだけ、国土を破壊しつくしておいて「美しさを創造しよう」というのも、あんまり虫が良すぎるような気がしますけれどね。

 そして、無関係とも思えないのが、「開発」という言葉が消えた代わりに、こうした総合計画の柱に形容詞として使われるようになったのが、「持続可能」や「環境保全」や「再生」です。陸域「開発」によるツケの精算を、政策的に海域部(とくに沿海域)に持ち込もうとはしていないでしょうか。海洋基本法が、沿海域とは無関係であるわけはありませんね。中国や韓国や北朝鮮、ソヴィエトとの領土領海や経済水域保全の主張のためだけに限定して海洋基本法を制定するとはとても考えられません。

(6)1970年代初頭の「海洋開発基本法」制定の構想があったことを知っていますか?

 あげればまだあるのですが、ちょっと長くなったので、ページを代えて「今なぜ海洋基本法なのだろう?」(その3)として「幻の海洋開発基本法制定―上程に至らなかった建設省時代に構想された沿岸海域の公共的管理に関する法律」(案・要綱)について紹介することで、さらに海洋基本法制定について考えてみましょう。

(その3につづく)

MANA(なかじまみつる)

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