« 今なぜ「海洋基本法」なのだろう?(目次) | トップページ | 謹賀新年 2008年子年 »

2008年1月 2日 (水)

謹賀新年 2008年子年 その2

千魚の眼―魚へん歳時記の連載始めました

MANAのサラリーマン時代(S社)に一緒に仕事をしたM女史と会合で立ち話をしたおり、女史が編集担当をしている誌面への投稿話となり、MANAのエッセイをのせてくれることになりました。

キリのよいところで、平成20年新年号からということとなり、その第1回目の原稿が「水産界」という雑誌に載っておるはずです(もう発行されているのかな?)。

○第1回(08年1月):ゴマメ、鱓、小万米(PDF2ページ)

連載のタイトル「千魚の眼」は、文化4年生まれで江戸末から明治にかけて奇人の名をほしいままにした漢方医学者であり漢学から本草学、文学、までスーパーな才能を発揮した森立之(もりりっし:森枳園:1807~1885)の未刊手稿「千魚一観録」(せんぎょいっかんろく:国会図書館蔵写本)からとりました。江戸考証学の狩谷エキ斎最後の弟子であり、森鷗外の歴史小説「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」のもう一人の主役(MANAの勝手な解釈です)としてしばしば交遊(友)の人物として登場する人物ですが、明治になってからも西洋の学問(医学・生物・魚類・植物学など)には背を向けて、わが道を行く〝反科学〟的思考・行動・言動を貫徹したへそ曲がりであったことから、正当な評価には程遠い扱いをされ生涯を終えた人物です。

このあたりのことは、また別の機会に触れることにしましょう。「千魚」を国会図書館書誌では「干魚」(かんぎょ)と読んで「かんぎょいっかんろく」としていますが、MANAとしては、本文の記述内容から「せんぎょ」と読むほうが適切ではないかと考えています。水産学者でウナギの生態研究で知られる松井魁博士も名著「書誌学的水産学史並びに魚学史」(1983年、鳥海書房刊)において、そう読んでおり、「魚類をその産地、形状によって、其の種類、性質を知りうるものとして、その分類法37条を記した最初の日本人による分類」として、同書(写本・国会図書館蔵)、および松井博士蔵「魚仙新説」(自筆稿本)の翻刻・読み下し文を45~54ページにのせています。

松井博士は、日本に魚類学を定着確立させた「Jordan,Tanaka,Snyder 1913」(「日本産魚類目録」:A Catalogue of the Fishes of Japan)に至る過程に、日本における漢学と本草学と生物学とをつなぐ重要な人物としてきちんと評価をした、初めての生物学者であったのだと思います。

「千魚一観録」の冒頭部分のみ引用しておきましょう。

「(一)鰭セビレ小ニシテ頭尾カシラヲノ中央ナカバニ位クラヰスル魚ハ  水面(ミヅ)ニ浮遊(ウキ)シテ群行(ムレユク)ス/(河)ウルリコ 蒲魚 モロコ 公魚 ヲモト 渓斑 ハエ [條]魚 イワシバエ ヤナギバエ ノロマバエ オヒカワ オホバエ/(海)ヒシコ ウルメ イワシ……以下略」

日本の近世科学思想や哲学が維新を経て、近代科学へと体系化する過程には、本草学や考証の学としての漢学、そして国学思想の蓄積があることを見逃してはならないと考えておりますので、その意味において、森立之という人物は、幕末から明治の伊藤圭介や田中芳男らの系譜とはまた別の位置づけを与えなければいけない、これまで着目されてこなかった人物たちのなかでキーマンになるはずと考えております。

というような意味におきまして、MANAが光を当てたい人物の中でもナンバーワンである森立之を念頭におきながら、この雑文を書き進めてみようと考えたのです。

俳句の季語とはすこし異なるかもしれませんが、年中行事や四季祭事や中国における四民月令の世界にも意識をおきながら、旧暦世界の味な暮らし方に眼を向けながら、サカナの話題を中心にすえて「魚へん歳時記」というサブタイトルを与えてみました。

|

« 今なぜ「海洋基本法」なのだろう?(目次) | トップページ | 謹賀新年 2008年子年 »

コメント

なんとなく「森立之」のキーワードで検索をかけたら貴ブログにたどり着きました。
『日本書誌学の研究』(川瀬一馬著)等はご覧になりましたでしょうか?
「森立之」は近年に再評価がされつつあり、中国でも著書が翻字(字が汚いがらね)出版されています。
リンク先は生誕200年祭の案内です。

投稿: 木木木 | 2008年1月13日 (日) 00時41分

木木木さま
コメントありがとうございます。
森立之生誕200年なんですね。情報ありがとうございます。さすが13日の今日では、無理ですが、最近「森立之研究会」に機会を見つけて参加しようと考えております。
森立之は必ず注目されるべき人物ですし、最近は、漢方医学以外のジャンルの研究者の関心が高くなっています。といっても、魚類学や箋注倭名類聚抄と狩谷エキ斎らにつながる行跡研究者は依然少ないようです。貴ホームページも伺いました。
又連絡します。今後ともご指導お願いします。
MANA・なかじまみつる

投稿: MANA | 2008年1月13日 (日) 16時59分

お恥ずかしながら漢方の分野で森立之が注目されたのはここ30年位の事なのです。だから『近世漢方医学書集成』には『遊相医話』『神農本草経』『経籍訪古志(←漢方文献ではない!!)』が載っているにすぎません。
良い演奏はその聞き手が居ないと評価されないものなのですね。

投稿: 木木木 | 2008年1月16日 (水) 13時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/163640/9708930

この記事へのトラックバック一覧です: 謹賀新年 2008年子年 その2:

« 今なぜ「海洋基本法」なのだろう?(目次) | トップページ | 謹賀新年 2008年子年 »