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2008年1月22日 (火)

刺激的だった内山節さんの基調講演

「里としての海を考えるシンポジウム」が開かれました

 1月19日「里としての海について考えるシンポジウム」(主催:JF全漁連、海と魚と食を考える会。水産庁委託事業「環境・生態系保全活動支援調査・実証事業」にもとづく開催)が開かれ参加をしてきました。とってもよい会になったと、率直に思いました。印象に残った発言を、MANA流の言葉に置き換えて書いてみることにしましょう。
○里海に置ける漁業者と市民の協働関係の位置づけなど、従来は、ことばとしてもあまり使われてこなかった考え方が提起され、その討議もされたことは、漁業関係者が多い性格の会合としては、とても有意義であったと思います。
○内山節さんも、これからの沿岸域の人と海とのかかわりを考えるとき、漁業権の位置付けとその意義を講演のなかで話していただいたことも、時宜を得たものだとおもいました。
○そして、内山さんから、刺激的な言葉が飛び出しました。
○ものの所有と利用の概念を、つまり「みんなのもの」について、「みんな」の概念のなかに、日本人の旅人だけでなく、急増してきた中国人や韓国人旅行者をも入れざるを得ない時代が来るかもしれない、というのは、哲学者的予言として(予言といって済まされない現実味のある)、なるほどなあ、とおもいました。この一言がきけただけで、僕としては、満足でした。
○さらに、内山さんは「ぼくは小さなエリアですが山の所有権をもっていますが、森林の所有というのは、都会の人は、自分の住居の土地の所有権とおなじようにおもわれるかもしれないけれど、実は、ちょっとちがうのです。森林(の土地)を所有しているというのは、ムラの人々にとっては、土地に生えている木を所有しているということと考えているのであって、木の成長を阻害したりする行為をしない限りは、その土地の木以外の山菜をとったり普通の茸をとったりする利用の立入りは自由なんですね。だから木の植わっている地面はみんなのものなんです……」というような話がありましたが、これは、「所有」と「総有」の考え方というのは、じつはその境界線は、時代のながれでどんどん変化をして行くというけれども、その原点にあるものをしっかりとつかんでおこうといっていることで、とても重要な発言だとおもいました。
○たとえば、農地の所有は、現在では、住居の土地所有と同じような、あるいはちかい所有の形と考えていますが、じつは、これにも、そのむかしは、土地と耕作権とが分離していた長い歴史があって、その「名残」が、現在どのように、日本の土地所有と総有の権利の性格に現れているのかを考えるために、かっこうの問題提起でもあったわけです。
○みんな、海の所有と総有、その所有者と利用者、そして管理者に置き換えて、考えるときに、同じテーマを論じ考えることになります。
○また、「森は海の恋人」のご本人畠山さんが参加されていて、「縦割り行政」の弊害を指摘し、「漁師にも水利権の主張ができるはずだ」というおそろしく刺激的な発言も飛び出しました。
○畠山さんは、昔から、森と川と海との連環を考えることで、それをつなぐ水に着目されて、漁師にとって海を使い続けることは、とりもなおさず川の水を使い続けてきたのであり、漁師にも水利の権利を主張してよいと主張されてきたのですが、その主張が、里海という考え方が普通になってくると、じつに現代的な課題として、突拍子もない提案ではない現実感をもってくるという(私は、鎌首をもたげてくるという表現を使いますが、漁業権を消滅させても、その海は権利のなくなった海にもどるのではなく、漁業権を近代法の形に規定した、その前の慣習の権利が前面に出てくる……)奧深い意味が込められているのですね。
○このシンポジウムで語られた発言を、逐一文章にしていくと、「いまなぜ里海ということばを使って海について、あるいは海の利用について語らなければならないか」について、ものすごく具体的かつ重要なことがらについて、語られている入門編になっていること気付くはずです。

◎ブログ版「MANAしんぶん」記事にシンポジウムをMANAがテープ起し、構成して原稿化したファイルを公開してあります。

http://manabook.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post-4796.html

MANA(なかじまみつる) 

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