「文芸春秋」にも「里海」の記事載る
涌井史郎氏の「里川と里海の思想」
「里海」のことばが、芥川賞掲載号というので購入した月刊「文芸春秋」誌(2008年9月号)に載っていた。「人と自然をつなぐために」という、「造園家」にしてテレビなどで頻繁に発言をしている涌井史郎氏の連載記事(野村不動産の広告ページですが)の第3回が「里川と里海の思想」。
「里に暮らす人々にとってコモンズとしての川」として、「里山」を論じ、「川はまさにコモンズ(共有の地)であった」と「里川」を論じている。
続けて「海にも、人がかかわることによって、自然の恵みを最大化する知恵があった。その事例が〈サンゴ礁〉や〈干潟〉、「藻場」である。人々はこうした直接人の役に立たず、むしろ漁の邪魔にさえなる存在を逆に保護した。そこが豊饒の海を保障する大切な生物多様性の宝庫であることを経験的に知っていたからである。」沖縄の「イノー」を例にあげ、「これこそは夕餉をにぎわす」漁場となり、「漁民はこうした海の恵みを得るために、渚に近い海の手入れを怠らず、漁についても時期や大きさ、そして雌雄までも自己規制をすることを作法としてきた。ここにも人が関わってこそ得られる自然の恵みの姿がある。だから〈里海〉と呼んで差し支えない。」
今年が、国の施策に「里海」が、各省庁の持ち分の範囲とはいえ、沿岸域にかかる環境、漁業、水対策の一つのキーワードとして位置づけられた初年の年となり、涌井氏が言う「人と自然をつなぐ」視点を論じるばあいには、「里山」に加えて「里川」と「里海」が、「水」を介してひとつながりにとらえるという論調が主流を占めてくることになるのであろう。
それだけに、「里山」「里川」「里海」を連環して(この「連環」のことばもすでにそうとうにゆきわたった)とらえるときに、山にあって川と海にはないもの、海にあって山や川にはないもの、川にあって山と海にはないもの、というような、同質と異質のファクターをかぎ分ける臭覚をあわせもたないと、「思想」といえるようなものには到達できないのではないかというきもする。
来年は、「里海」から「里山」「里川」に向けての、より具体的な発言が増えていくことが必要になってくるのであろう。
(MANA:なかじまみつる)
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