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2009年1月30日 (金)

女性からみる日本の漁業と漁村

中道仁美編著『女性からみる日本の漁業と漁村』農林統計出版刊

Joseikaramirugyoson200611 女性の視点から漁業や漁村を語っている本は、そういえばこれまでほとんどなかったのではないか。本のタイトルのテーマだけからいっても、著者らの意欲的な、オリジナリティーあふれる活動が読み取れる。

『女性からみる日本の漁業と漁村』中道仁美編著・農林統計出版。2008年11月発行。A5判並製196ページ。

本の構成と担当執筆者:第1章「漁業の現状と女性の地位」(中道仁美)/第2章「漁業従事者における女性労働の位置」(三木奈都子)/第3章「陸上作業の再評価と女性の漁協正組合員化」(副島久実)/第4章「漁業地域における女性リーダーの育成」(藤井和佐)/第5章「環境と漁村女性」(関いずみ)/第6章「女性起業の直売活動と社会的展開」(中道仁美)/第7章「女たちと海」(木村都)/第8章「漁業における女性の研究史」(三木奈都子)

日本の漁村に生きる女性たちを民俗学の視点で著作した瀬川清子や、「婦人労働」研究の岩崎繁野が、この分野では先駆としてしられるが、1980年代以降の漁業情勢の変化を背景とした女性たちの活動や労働環境、漁村や漁業における役割の大切さにスポットを当てた専任研究者の報告は、非常に少なかった。

婦人部活動として魚食普及活動やセッケン普及活動、近年多くなった植樹活動といった行動の紹介はほとんどで、漁村という地域社会における位置づけや、漁業という産業の担い手としての女性の役割を正面からとらえようという視点が、残念ながら欠けていたということであろう。(書きかけです)MANA

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2009年1月 6日 (火)

「里海」の氾濫

新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

旧年末に掲載した「文芸春秋」の涌井氏記事について、コメントをいただきまして、旧年12月24日の「毎日新聞」社説で「「里海」創生―海を身近にするチャンスに」が報じられたことを教えていただきました。

毎日新聞:2008年12月24日「社説」「里海」創生 海を身近にするチャンスに」

記事は、環境省の「里海創生事業」を解説しているもので、〝大新聞〟の社説の見出しに使われる認知度にまで高まったという事だろう。

これを機に、ひさしぶりに、ネットのGoogle検索サイトに「里海」を入力してみると、確か昨年の中ごろに同じことばの検索をしたときにくらべて、上位ランク(50番ぐらいまで)の記述内容内が、常連組みのほかに、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に登場していたり、一般のブログで「海」とほとんど同義で使っていたり、SATOMIちゃんのニックネームだったり、バリエーションがでていることに、正直驚いた。

あんまり「定義」にこだわる必要などもちろんないし、「里海」のことばがどんどん広まり、認知度が高まれば高まるほど、昔ながらの「海」や「漁村」を、なぜ「里海」と表現したほうがよいのかの「核心」からは、どんどんと離れていくことは、ある意味致し方ないことなのだろう。

ただし、漁業(農山村のナリワイも含めて)という自然産業の行く末、沿岸域管理と利用をどこに位置づけていくのかの、きちんとした議論を深めていくことが、そのベースにないと、行き着く先は、日本の海という環境の「箱庭」理論ばかりが横行するということにもなりかねない。おそらく、その方向にすでに針は動いているのかもしれない。

箱庭的里海論と実態的里海論との振り子の中心軸を論者となるオピニオンリーダーたちは常に頭に思い描いておくことがたいせつなのだとおもう。箱庭的里海論が実態的里海論を時代に逆行するといって〝批判〟を加える時代が、おそらくくるのであろう。

このネット時代、ことばの氾濫とひきかえに、つねにそういう犠牲を伴いながら、さらされながら、実を踏み外さないようなタフさが必要ということか……

MANA:なかじまみつる

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