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2009年1月 6日 (火)

「里海」の氾濫

新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

旧年末に掲載した「文芸春秋」の涌井氏記事について、コメントをいただきまして、旧年12月24日の「毎日新聞」社説で「「里海」創生―海を身近にするチャンスに」が報じられたことを教えていただきました。

毎日新聞:2008年12月24日「社説」「里海」創生 海を身近にするチャンスに」

記事は、環境省の「里海創生事業」を解説しているもので、〝大新聞〟の社説の見出しに使われる認知度にまで高まったという事だろう。

これを機に、ひさしぶりに、ネットのGoogle検索サイトに「里海」を入力してみると、確か昨年の中ごろに同じことばの検索をしたときにくらべて、上位ランク(50番ぐらいまで)の記述内容内が、常連組みのほかに、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に登場していたり、一般のブログで「海」とほとんど同義で使っていたり、SATOMIちゃんのニックネームだったり、バリエーションがでていることに、正直驚いた。

あんまり「定義」にこだわる必要などもちろんないし、「里海」のことばがどんどん広まり、認知度が高まれば高まるほど、昔ながらの「海」や「漁村」を、なぜ「里海」と表現したほうがよいのかの「核心」からは、どんどんと離れていくことは、ある意味致し方ないことなのだろう。

ただし、漁業(農山村のナリワイも含めて)という自然産業の行く末、沿岸域管理と利用をどこに位置づけていくのかの、きちんとした議論を深めていくことが、そのベースにないと、行き着く先は、日本の海という環境の「箱庭」理論ばかりが横行するということにもなりかねない。おそらく、その方向にすでに針は動いているのかもしれない。

箱庭的里海論と実態的里海論との振り子の中心軸を論者となるオピニオンリーダーたちは常に頭に思い描いておくことがたいせつなのだとおもう。箱庭的里海論が実態的里海論を時代に逆行するといって〝批判〟を加える時代が、おそらくくるのであろう。

このネット時代、ことばの氾濫とひきかえに、つねにそういう犠牲を伴いながら、さらされながら、実を踏み外さないようなタフさが必要ということか……

MANA:なかじまみつる

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コメント

>おそらく、その方向にすでに針は動いているのかもしれない。

この点に、拙ブログで紹介した向井さんは(私も)、危機感を抱いています。

この針の動きを止めるためには、「人々がもっと海のことを知って、皆がどんどん意見を言い合えるような社会状況にするように地道に努力を続けるしかない」と思っています。

投稿: hiroichi | 2009年1月10日 (土) 03時25分

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