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2009年4月19日 (日)

「平和」学から「里海」学へのアプローチ

竹峰さんとの出会い。そして何人もの人々との出会いが続きました

 あっという間に5ヶ月がすぎてしまいました。MANAは、乗り越えなければいけないいろいろの雑事にあけくれる毎日でしたが、桜が散り、草木芽吹き、葉緑まぶしい時を迎え、なんとか、かんとか、ようやく、心に余裕と明るさを見つけることができるようになりました。

うれしいメールが届く

 人の出会いとはなんてすばらしいことなのでしょう。歳とともに鈍りがちな感性に刺激を与え、自信すら呼び戻してくれるのですから、いまさらながらおどろきを隠せません。そして自分を支えてくれてきた人々とのつながりの大切さに、いまさらながら気づかされるようになっているのです。

 2月にはいってからのことでしたが、一本のメールが入りました。[季刊里海]創刊号と『「里海」って何だろう?』(水産振興会)を読んでくれて、ぜひ直接会って話を聞きたい、というのです。三重大学に赴任したばかりという竹峰誠一郎さんというかたからでした。

海と人との絆(きずな)をどうとらえるか

 三重大学生物資源学研究科を中心に活動している「伊勢湾再生研究プロジェクト(社会系グループ)」に所属することとなり、これから、どういう視点で研究調査を進めていくかの方向を決めようと勉強中とのことでした。

 竹峰さんとその後電話で話してみると「海と人とのつながりについては自分なりに考えてきましたが、沿岸域と漁業や水産資源とのかかわりを〝里海〟というキーワードでとらえていく考え方に、どうも自分の中でしっくりこない点があって、伊勢湾〝再生〟という大きなテーマにどう取り組んでいくかの考え方を整理しているところなのです。」という。

 この次に、うれしい言葉を発してくれたのでした。

自然科学と社会科学のスタンスのズレはあるのか

「そんなおり、[季刊里海]と『「里海」って何だろう?』で示された里海をどうとらえていくかの論旨とそれに基づく事例を読み、自分がそれまで聞いてきた〝里海〟をとらえる自然科学的というか生態学的というか、水産学的というか、そういうかたがたの視点とはどこか異なって、人や社会と自然とのかかわりに幹をおいた考え方に、自分の研究スタンスと共通する視点を見つけました。」 というのです。

 どこかが違うのか、あるいは同じだけれど目指すところの方向性が違うのか、どのようなところが現在課題であり、テーマとして進化させていかなければいかないのかを探るために、「ぜひ直接お会いして、自分の疑問をあなたにぶつけてみたい。意見交換しましょう」というのです。

 いやあ、泣けるセリフですね。こういう人物にも、里海という言葉を使うことによってめぐり合えるのですから、ホント〝まってました〟という感じでした。

自然を破壊してきたことの反省をこめて

 MANAが、「里海」という言葉を使うようになったのは、新しい概念の提案というようなかっこのよいものではなかったのです。

 そうとうの昔から、歴史の用語で言うなら「近代」という時代を人が走り始めてから、富んだ国づくりにまい進するようになりました。日本人の暮らしと近接していた自然との関係は、同居(イソウロウなのかなあ)の関係から、だんだんと遠い距離をおくようになり、別居ずまいがあたりまえになってしまったのですね。ムラはマチの対立概念ではなくなってしまう時代がおとずれると、人と自然との関係は、いつのまにか逆転して、人の暮らしに都合のよい〝自然〟や〝ムラ〟〝ムラ〟であってほしいと思うようになるのですね。

 それがさらに、欧米の対立概念と同じような歴史性を秘めた隔離や例外的特別域につながる(というか、日本流で言えば放り出してしまった)ようなシゼンの領域やムラの出現に、それが生み出された原因もきちんと整理しないままに、「再生」や「創生」を語り始めていることに、ほんと危うさを感じているのは、MANAだけではないはずなのに、そういう論議を遠ざけている風潮がうまれているような感じがしてしようがないのです。

 西欧社会とアジア社会との比較の中で、人と自然との関係は、対立的概念と協調的同化概念というとらえ方をする整理もあるけれども、自然と溶け合って暮らしてきたとされた日本の人々が自然に対して為してきた行いは、どうであったのかと振り返ってみたとき、対立と協調のどちらの関係がよりよいのかというような評価や判定ができるような水準をはるかに越えた段階にまで日本という国はきちゃったんだなあというの実感です。

〝リセット〟すればいいのだろうか

 でも、そんな面倒なこというよりも、〝リセット〟すればいいじゃないかというのが、もっぱら最近の主流をなす声なのだろうけれど、それは、〝ちょっと違うだろう〟とむっとして、一面、あきらめ観をもちつつ独り言を言っていたのでは、どうもいけないのじゃないだろうか、と思うようにもなったのです。

 海については、海面埋立てによる沿岸開発の時代がずっと続いてきました。この評価と結果責任についてのきちんとした反省を伴ったケジメがあいまいにされながら、〝リセット〟論がまかり通っているような気がしています。破壊をしてきたり、理想的な計画を立てたけれど、その実ほとんど効果をあげ得ないまま、自然消滅してしまった〝豊かさ〟を標榜した公共事業の数々が行なわれてきました。こうした計画に直接間接にかかわってきた、私をも含めた実行者やその支援者個々、そうした〝張本人〟が、今、為すべきこととは、何かを考える必要があるのじゃないだろうか。

里海はかっこいい「ことば」なんかじゃない

〝里海〟を僕が言うときには、こんなことを考えながらですから、けしてかっこのいいものじゃないんです。

 「漁村」や「漁業」という地域的、産業的な概念の言葉が、沿岸地域とその地先の海を語るときに、これまでずっと使われてきました。しかし、10年ぐらいほど前から、沿岸域の人と自然域の利用について考えようとするときに、このような既存の言葉では、現状やこれからのことを言い表せなくなってきたのです。

 歴史の研究の世界では、網野善彦は、海沿いに住む人々の暮らしは「漁」だけではなく、海運や交易といった幅広いナリワイによって成立してきたのだから、「漁民」という表現より「海民」という言葉のほうがふさわしく、漁村という、「ムラ」の概念だけでとらえるのでなく、商業交易によって成立する「マチ」としての性格に注目しようと主張しました。

 いっけん「漁村」というと、孤立したムラであったり、閉鎖性の強いイメージが一般的であったのですが、実は、海でつながった〝開放〟的な性格をもってきたのです。 このような歴史的な変遷と反省を加えた位置づけによっても、そろそろ、沿岸域の地域概念や類型を改めてみるべき時期に来ていたのです。

竹峰さんの視界に写った「里海」観あるいは「海の再生」観への整理

 ちょうど、関いずみさん(海とくらし研究所主宰・東海大学准教授)からさそわれて、2月13日に「漁村研究会」で、「里海」について話をしてほしいと依頼されていたので、竹峰さんにそのことを伝えると、出席するとのことで、報告の前に2時間ほど意見交換をすることになりました。

 このときの話を、竹峰さんは、実に丁寧に整理をしてくれました。

竹峰誠一郎「里海とは何か」PDF

http://isewan.nikita.jp/09.03.08satoumi-takemine.pdf

「平和学」者の視点から、海と人と地域をどうとらえるのか

 実は、竹峰さんとメールを交換しながら、竹峰さんの専門が、国際関係学の一ジャンルである「平和学」であることを知りました。

 竹峰さんは、和光大学から早稲田大学大学院にすすみ、研究テーマを「米国の核実験場であったマーシャル諸島におけるヒバクシャ調査を(社会科学の観点から)進めてきた。本研究の最たる特徴は、ヒバクシャの視点により立脚して、核問題を見ていこう」(高木仁三郎市民科学基金第1回助成の調査研究報告より)というもの。高木基金助成による「マーシャル諸島アイルック環礁のヒバクシャ調査」を進め、修士論文は『マーシャル諸島アイルック環礁のヒバクシャによる核実験認識:ローカルから見たグローバルイシュー』。

 竹峰さんの平和学には、このようなスタンスから、地域と人と国家とのかかわりの中から「海」が語られることになりました。こうして、かれは、「伊勢湾再生研究プロジェクト(社会系グループ)」において、

竹峰誠一郎「サブシステンス志向の脱開発論の紹介」:

http://isewan.nikita.jp/09.03%20subsistence-takemine.pdf

という、研究調査のアプローチを語ることになります。沿岸域の開発と利用を考えるにあたって、これからどうしても議論しておかなければならない重要なテーマです。

「里海」を考える視点に、こうして「平和学」の視点が加わることは、MANAにとっても大きな刺激となったのでした。(MANA:なかじまみつる)

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2009年4月10日 (金)

「里海の理念と水産環境保全」3.27シンポで報告してきました

MANAの〝つたない〟報告の背景にあるものを整理してみました

 2009年3月27日の今年の春季水産学会において開かれた水産環境保全委員会分科会シンポジウム「里海の理念と水産環境保全」に、パネラーの一人として呼んでいただきました。MANAによる報告はは、「地域ルールの実態に着目した〝里海〟の見方―漁場・漁村と里海の間にあるもの」というタイトルで、いつもながらの話しっぷりで話してきました。

2009年3月27日日本水産学会春季大会:http://www.miyagi.kopas.co.jp/JSFS/INFO/sj-info_184.html

水産環境保全委員会主催シンポジウム「里海の理念と水産環境保全」(PDF):http://www.miyagi.kopas.co.jp/JSFS/INFO/sj-info_184-002.pdf

MANA報告「地域ルール実態に着目した「里海」の見方」報告スライド:http://www.manabook.jp/090327localrool-satoumi.files/frame.htm

 当日、家を出る直前、犬の散歩中アクシデントがあり、午前中の部に出席できず(山本さんごめんなさい)、午前に報告されたパネラーの先生がたのお話を聞けないまま、午後の報告になってしまいました。僕の報告より、最後に報告した、福井県雄島漁協米ケ脇支所の松田泰明さんによる「漁師と市民、それぞれの里海。そこからの里海」がなんともすばらしかった。僕のほうは、いつもながら話べたで、本論を話す前に時間が来てしまいました。

なんで「掛布」地区なんだ!!

 これまで漁業権やローカルルールを現代の沿海域・自然域の管理と利用について「漁協・漁業者」と「地域」の役割を考えてきたことを、「里海」を考える視点から整理したことが、今回お話したいテーマでした。上記スライド「地域ルール実態に着目した「里海」の見方」は、恥ずかしながら、松尾さんの住んでいる地区(掛津)を、パソコン変換のなすがままに「掛布」地区としてしました。阪神タイガースファンとして、あとで松尾さんも笑って修正を了承してくれました(当然ですね)。そのスライドに誤植を修正し(まだあるぞ!)、舌足らずだった結論(1)に結論(2)を追加しました。ところが、WEB上でスライドを公開しても、追加した部分が公開スライドでうまくリンクしていないようなので、以下に結論(1)、結論(2)としてブログで再掲して載せておきます。

「地域ルール実態に着目した「里海」の見方」:結論(1)

○漁協・支所・地区の地域社会の役割分担:漁協が合併したり大型化すると地区単位の合意形成によるルール形成は、リーダーや地域の差もあるがむしろ円滑に進むようになる。

○地域外の人(ヨソモノ)と地域内の構成員と漁協等既存組織の交流の仲立ち機能:NPOやそれに順ずる団体が、漁協の担いずらい事業にたいして担い方を分散できる:生産活動・比生産活動・環境保全環境教育活動(市民的利用):ボランティア活動

○漁業的利用のみが主体となっている地域社会:漁業的利用と市民的利用とが共存する地域社会=この相違に目を向けてみるときに、地域社会の構成者によってのみ管理利用のルール形成およびその変更が可能となる自然領域の所有(漁業権、地先権、入会権)にかかわる対外的には「閉じた:閉鎖的」な慣行(ルール)を、現代社会経済の需要にあわせた可能な範囲での「自主的な開放」ルールをつくり提案することによって、生み出される「価値」を、活かす手法作り。

結論(2):さらなるまとめ

○沿岸域の海と陸の自然資源の利用と管理を考えるとき、ローカルルールの合意形成をはかる上での最小単位の地域実態Aに着目しよう。

○地域実態は、その地域の経済・社会・文化の歴史によってそれぞれ異なり(A1、A2……Ax)、それらの一あるいは、いくつかが重なって現在の行政区画の最小地域Bを作っている。

○AあるいはBの地先の海(浦浜)の関係が「里海」の実態である。

○旧来からの漁村や漁業地区の概念をあらたに見直し、合併の歴史や人口流出や新住民たる市民社会流入の変化要因を考慮しながら、現代その地域が実際に機能しているあらたな地域の概念を再構築する必要があるのではないだろうか。

○それらの地域実態が持続可能な経済社会を成り立たせる条件を満たす地域住民の意思(合意・政策への賛否など)に基づいた沿海域の自然資源の利用や管理、地域開発計画であるべきであろう。

○つまり、地域実態の数だけ多様な姿の「里海」がある現状を要件に含んだ自然資源利用管理計画が沿岸域政策をすすめる上で大切なポイントとなる。

 なお、今回の報告では、京都府網野町漁協の松尾省二さんとの出会いと、彼の掛津浜遊浦(かけつはまあそびがうら)の太鼓浜における共同漁業権漁場を入域して魚介を採捕したい市民に開放した意欲的な取り組み事例を取材できたことをとおして、とても大切な現代的な意味に気づいたことをお話してみたかったのが第一でした。

敷田麻実さんの沿岸域管理論の意味が理解できた

 また、もう一点は、この取材から、あるテーマが浮かび上がってきたことについてお話ししてみたかったのです。

 何年か前に、MANAが取材して記事(「漁協と共済」リレートーク)にした、

MANAインタビュー:北海道大学観光学高等研究センター教授 敷田麻実さん「もっと地域社会に開いていこう―これからの漁村・漁協がむかうかたちとは?―」:http://satoumi.cocolog-nifty.com/070514-85sikidasensei.pdf

北海道大学観光学高等研究センターの教授である敷田麻実さんが語った話の内容についてです。このときの意見交換のときには、気がつかなかった重要なテーマにつながっていることに、整理しながら気づいたことです。敷田さんを取材した時点では、敷田先生が、松尾さんや、松尾さんのお父さんたち地域の人々が行なってきた「琴引浜の環境保全活動」の意義を、沿岸域管理と地域の役割とを「ヨソモノ」概念を取り込みながら

「地域の沿岸域管理を実現するためのモデルに関する研究:京都府網野町琴引浜のケーススタディからの提案(敷田麻実、末永聡)2003年日本沿岸域学会論文集」:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34931/1/1255.pdf

を提案していたことに気づいていなかったのです。

 それが、MANAが「漁業権開放」のテーマ「里海」と沿岸域における「地域実態」のかかわりを追いながら考えを進めてきた段階で、このサーキットモデルの背景にある敷田先生の沿岸域管理の思想に気づき、敷田先生の言わんとすること、MANAがこれまで主張してきたこととが、〝ぴたっと〟あてはまったのですね。正直いいますと、「もっと地域社会に開いていこう」の記事を書いたときには、敷田先生が「閉じつつ」「開く」ということの、本当の意味には、気がついていなかったことが、今回よくわかりました。

海のコモンズ論成立のための一定の条件(ハードル)を越えるためには?

 また、今回の沿岸域における「地域実態」の報告の整理によって、これまで考えてきて、うまくまとめられなかった大切なテーマが浮かび上がってきました。

 コモンズ論が、注目されているなかで、なぜ「海のコモンズ論」をきちんと語る研究者が少ないのか、ということです。

 沖縄や東南アジアにおける海と人とのかかわりを語るときに、フィールドワークをもとに「コモンズの思想」展開する研究成果はたくさん出て、このことにおいては、とても大切なテーマとして、注目し、評価をしてきました。

 しかし、この「コモンズの思想」の延長線上に、日本全国の海(沿岸域)を考えたときの海と人とのかかわりにおける沿岸域の利用と管理についての一般理論が、うまくのってこないことに、気づき、どう考えていったら、ぴたっと一致してくるのかなあと、常々思ってきたのです。

『ローカルルールの研究』をMANAも加わって出版し、その著者の一人である池田恒男先生らが、「〝コモンズ論〟と所有論」(池田分担著)、「近代土地所有権論再考」(牛尾洋也分担著)から「コモンズとしての入会」(鈴木龍也分担著)などを含めた『コモンズ論再考』(晃洋書房)の提起した意味をこめて、海におけるコモンズ論を成立させるためのいくつかのハードルとしてとらえてきたのですが、「漁業権」の沿岸地域における役割や機能にたいする「攻撃」があちこちにくすぶって(攻撃される理由がよくわからないままに、あちこちで漁業権は現代にマッチしない権利であることの主張が噴出して)いる中で、どういう方向性、位置づけで整理をしていったらよいのかを考え続けてきたのです。

『コモンズ論再考』(晃洋書房。2006年):ブログ版「MANAしんぶん」「『コモンズ論再考』では何が提起されているのか?」:http://manabook.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_70c5.html

「海のコモンズ論」成立の条件というハードルを越えてしまえば、「里海」論であろうと、「沿岸域管理」論であろうと、「まちづくり」論であろうと、共有できる解決軸として「漁業権」の現代的な役割や機能をはめ込めることができるのではないか(つまり、正当性を持ったものとして:漁業権の正当性は如何ということに対する答えといえるもの)という気がしてきたわけです。

「漁業権」と「入浜権」との間にあるものは意外にしつっこい?!

 言葉を変えると、「漁業権と入浜権の間にあるミゾ」のスキマをどう埋めたらよいのか、ということであるのかもしれません。今年は、高崎裕士氏らが1975年「入浜権宣言」として提起した「入浜権」は、来年(2010年)で35年となったことを機に高崎さんの公式サイトでは、「入浜権宣言35周年記念インターネットシンポジウム」

http://homepage3.nifty.com/eternal-life/netsympo.htm#top

を解説していることを教えてもらいました。呼びかけ人のなかには、MANAと情報交換をしてもらっている何人もの方もいて、あるいみMANAが「漁業権」を考えていく過程で出会えたかたがたです。

 実は、MANAがテーマにしてきた「漁業権と入浜権とのあいだにあるもの」ということを、正面から考えている人というのは、あんまりいないということを、知っています。というより、間があって、そこがミゾになっていて、そのミゾを埋めないことには、先に進まない、それほど、深くてどろどろしたものが入り込んでしまったという、ことに気づいているかどうか、ということでもあるかもしれません。

 明治以来みんなが取り組んできた「近代化」の問題を乗り越えようと知恵を絞ってきたこと、あるいはそれほどさかのぼらなくても、戦後の経済発展のツケを総括的にどう乗り越えるか、というようなことに、取り組んできたけれども、現在、この〝究極的〟なテーマを語りたがらない雰囲気が充満している、そういう閉塞感を抱いているかどうかということでしょうか。結構にしつこいテーマが潜んでいるのです。

「海のコモンズ」論を成立させること、というのは、実はそんなことと同列にあるのではないか、と考えています。ようやく、そうした流れを前に進ませる機が熟してきたのかなあ、とそんな感じを持つようになりました。

 今日は、ここまでにしておきましょう。(MANA:なかじまみつる)

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