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2009年5月 3日 (日)

泉水宗助「東京湾漁場図」ついにWEB公開

水産総合研究センター図書資料(祭魚洞文庫等)デジタルアーカイブが開始されました。

 4月末、水産庁の研究機関「中央水産研究所」、現在は、独立行政法人水産総合研究センターに属していますが、その図書資料館の田渕館長からうれしい連絡が入りました。

「水産総合研究センター図書資料デジタルアーカイブ開始おしらせ:本日、当館では蔵書の歴史的資料のHP上での公開を順次はじめました。
第一段は、何羨録 ほか15点です。ごらんください。感想教えてください。」として、デジタルアーカイブのURLが次のように記されていました。

http://nrifs.fra.affrc.go.jp/book/D_archives/

「何羨録ほか15点」とあり、次の資料文献がネット上で、前文、全体像を、画像により各ページ、細部まで閲覧することができます。

(1)何羨録(かせんろく):津軽采女, 1723(享保8)年, 118丁, 24cm
(2)
水産図解:藤川三渓著,井上神港堂,1889(明治22)年,上下巻(40,30丁),27cm
(3)
東京名物浅草公園水族館案内:藤野富之助,瞰海堂,1899(明治32)年,17p.,19cm
(4)
少年教育水族館:山崎暁三郎,国華堂書店,1900(明治33)年,32p.,21cm
(5)
龍宮怪こはだ後平治(「こはだ」は魚偏に祭):談洲楼焉馬作,喜多川月麿画,山口屋藤兵衛,1809(文化6)年,15丁,19cm
(6)
第五回内國勧業博覧会堺水族館図解:金港堂,1903(明治36)年,69p. 図版23,22cm
(7)
第五回内國勧業博覧会附属水族館図:作者不詳,制作年不詳,3図秩入,76×56cm,写本
(8)
皇和魚譜(こうわぎょふ):栗本丹洲纂,大淵常範[ほか]校録,1838(天保9)年,50丁,27cm
(9)
水産調査豫察報告:農商務省, 1889-1893(明治22-26)年, 1-4巻
(10)
さかなつくし:歌川広重画,大黒屋版,1911(明治44)年,24cm,折本,1帖7図
(11)
東京湾漁場図:漁場調査報告 第五十二版:泉水宗助 1908(明治41)年 108×69cm 地図資料1枚
(12)
東西蝦夷山川地理取調図:松浦竹四郎著 多氣志樓蔵 1859(安政己未)年 38×52cm 28巻
(13)
曲寸准里内海深浅浜浦図:作者不詳,制作年不詳(幕末~明治初期),143×66cm,地図1枚
(14)
嘉永年中幕府にて調 内洋浅深図(江戸湾内):江戸幕府 嘉永年間(1848-1854) 53×76cm 地図1枚
(15)
江戸湾口水深図:游樂民画 1847(弘化4)年5月23日 39×52cm 地図1枚

どの資料も、MANAが公開を待ち望んでいた貴重かつ現代におても利用価値の高い優れた一級品のそれこそ重文級の文献ばかりです。

津軽釆女(つがるうねめ)の「何羨録(かせんろく)」は、江戸のつり書の原点のような「江戸湾」(東京湾)の遊漁としての釣り場を紹介した資料で、とても有名ですからご存知の方もおおいことでしょう。「龍宮怪こはだ後平治(りゅうぐうかいこはだこへいじ)」の作者の談洲楼焉馬(だんしゅうろうえんば)は、現在の立川談志の「立川流」の祖とされる江戸落語中興の人物であり、戯作者として知られている人です。

画像を見るだけでも楽しくなる作品です。江戸の庶民は、いまの魚名フェチのように、このような戯作や歌舞伎、往来物の魚尽くしや絵草子によって魚介の名称やその形態的な特徴を味とともに楽しんでいたのですね。「皇和魚譜」は、江戸時代の医者であり本草学者でもあった栗本丹洲(くりもとたんしゅう)が編纂した魚類の図譜で、国宝級の色彩豊かな図譜類のコレクションは国文学資料館のほうに移管されていますが、このように淡色ですが、その図譜の研究をするためには貴重な内容を含む資料が数多く含まれています。

これらの貴重な文献資料は、現在の民俗学を、研究者、パトロンとして支えてきた渋沢敬三の創設した私的博物館「アチックミューゼアム」のライブラリーとして知られる「祭魚洞文庫」の水産・漁業文献のセクションを、水産庁に設けられていた「水産資料館」が寄託を受け保蔵してきたものです。中央水産研究所が、現在の金沢八景に移転したとき、そっくりその「図書資料館」に移管され、漁業文書とともに保管され、一般の閲覧も可能になってきました。詳細は、同館のサイトに記されていますのでご覧ください。

「東京湾漁場図」「江戸湾口水深図」などの近世東京湾漁場資料はいま「里海」が論じられ「海の再生」が論じられるなか、とても重要な資料となります。

さて、「里海通信」で紹介する本題は、「東京湾漁場図」にあります。まず、本資料の解説をライブラリーから引用してみましょう。

○明治41(1908)年に千葉県君津郡真舟村櫻井の泉水宗助が、農商務省の認可を受けて発行した漁場図です。図中にたくさんの根や瀬や藻場が記されています。但し、明治漁業法(1909年)による漁業権が確定する前に作成されたものなので、漁業権の区画は記されていません。
  この漁業図と深い関わりがあるのが、『水産調査報告』(農商務省水産調査所,1892(明治25)-1908(明治41))の第7巻第2冊、第8巻第2冊、第9巻第1冊です。この冊の内容は、金田歸逸、熊木治平による『東京湾漁場調査報告』で、この中に「漁場誌」という一節があります。ここに出てくる漁場名と泉水宗助の『東京湾漁場図』に記された漁場名は一致しており、各漁場の解説を「漁場誌」で知ることができます。また。副題になっている「漁場調査報告第五十二版」の「第五十二版」とは、金田らの『東京湾漁場調査報告後編ノ二』(『水産調査報告』第8巻第2冊)の図版に振られた通し番号が第五十一版で終わっていることから、それに繋げた通し番号と考えられます。
(参考文献:桜田勝徳「東京湾の海藻をめぐって」(「日本水産史」日本常民文化研究所偏1957年所収)

つまり「図中にたくさんの根や瀬や藻場」が記されており、これらの詳細な位置、広さ、生息魚介などによって、現在、近代以降特に戦後埋立て開発によって失われた東京湾の漁場の江戸時代末じてんでの姿を移して見せてくれているのです。

MANAは、この「東京湾漁場図」の復刻図の刊行を企画し、添付する図の価値や読み方、また解説にも記されている農商務省が明治25年から20年以上もかけて行なった調査の「東京湾漁場調査報告」の現代語訳も含めて出版するつもりでしたが、資金面などの課題をクリアできず実現せずに現在まできました。

現在ここに、みごとに図の復元が、それもビューアーを駆使して細部まで読むことが可能になり、企画の大半を実現したのも同様です。とてもうれしい限りで、感謝感激です。

またこの図のこととと、「東京湾漁場図」を現代のわれわれに残してくれた「泉水宗助(せんすいそうすけ)」という人物は、いかなる人物であったのかについては、「泉水宗助を探せ」という、小文をまとめてありますので、ご覧ください。

「東京湾漁場図」制作者・泉水宗助を探せメモ:東京湾アマモ場・浅海域再生勉強会にあたって(2007年3月9日):「070309sensuisousukewosagaseMEMO.pdf」をダウンロード

解説文に「参考資料」として紹介されている『桜田勝徳「東京湾の海藻をめぐって」(「日本水産史」日本常民文化研究所偏1957年所収』についても、すでにテキスト化したものが手元にありますので、後日掲載していこうと考えています。

水産庁および水研センターの大ヒットと言えるでしょう。「里海」に関心がある多くのかたがたの利用を期待したいと思います。

(MANA:なかじまみつる)

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2009年5月 2日 (土)

竹峰誠一郎・中原聖乃著『マーシャル諸島ハンドブック』

単なる観光案内の本には終わらない南海の「小さな島々」の自立を応援する内容がたくさん詰まっています。

 竹峰先生と知り合ってしばらくして1冊の本が贈られてきました。Takeminemarshalislandbook_2ハンドブックとタイトルにあるように、観光で、島々を訪れる人々向けの知識・情報が詰目込んだ編集がされている。日本とのつながりや、「フレンドリーな人々、イルカやトビウオ、パンノキ・タコノキ――お金では買えない世界が、温かく迎えてくれる」という。南の国の海の島が大好きな日本人には、ああ、こんな島で暮らせたらなあと、夢気分を味あわせてくれるのであろう。

 しかし、サブタイトルの「小さな島国の文化・歴史・政治」と書かれてある。1954年3月アメリカ合衆国は、この島々の環礁地帯で水爆実験が行なわれた。日本では、ビキニ環礁水爆実験として知られ、マグロ漁船第五福竜丸が、水域を操業中被爆、乗組員の被害はもちろん、放射能に汚染されたマグロへの風評被害を含め大きな問題となり、当時小学生であったMANAの世代にとっても、その後続く影響によっても、戦後の強烈な記憶として残っている。

本書の第4章は「アメリカの安全保障の影」として、著者の一人竹中誠一郎の調査研究成果を存分に発揮して、日本人としてほとんど記憶から忘れかけようとしている水爆実験とマーシャル諸島にくらす人々の被害やお粗末な補償の実態や、大国の論理に押しつぶされてきた歴史の実像を、わかりやすい、わかものの感性で淡々と記していく。

海と人とのかかわりを、「里海」論として再構成していく試みをしている、MANAの心に、ぐさりと現代にまさに移行する途中に起きた事実としてぐさりと突きささる。

アリの目になった竹峰さんの視点

竹峰さんの「あとがき」を引用しておこう。

「アリの目」で世界を見つめる:「世界には63億人の人がいますがもしもそれを100人の村に縮めるとどうなるでしょう」――。絵本『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)は、「いままでと違う世界の現実が見える」などの反響を呼びベストセラーになった。類書も次々出版され、……中略……「世界の多様性と格差が体感できる」と好評を博している。

「100人の村」を全否定するつもりはない。しかし、世界を100人の村に縮めると、マーシャル諸島のような小さな国がかかえている現実は、ますます切り捨てられ見えなくなってしまうことを、私は声を大にして言いたい。世界の多様性や現実を理解するには、ものごとを上から大きくとらえる鳥瞰的な見方だけではなく、もう一つ「虫の目」をもった、いわばアリが地をはうように、下から丹念に、小さなものから世界を見つめる視座が必要なのだ。本書は「アリの目」で世界を見つめた本である。

小さな島マーシャル諸島は一見、世界の大勢に影響を与えない、隔絶された辺境な地に見える。しかし、その小さな島には実は世界大の大きな問題が横たわっている……中略……。辺境とされた地に着目することは、「国史を、地域史を、ひいては世界史を違った視座から再訪するたびの出発点」(テッサモーリス『辺境から眺める―アイヌが経験する近代』みすず書房)となる。

……中略……そもそもマーシャル諸島をはじめとする太平洋のミクロネシア地域は、日本のお隣さまでもある。昨今「東アジア共同体」や北東アジアをめぐる議論が盛んになりつつある。近隣地域のアジアに目を向けようとする動きは心から歓迎したい。しかし同時に近隣地域の眼差しが、北東アジアや東南アジアにほぼ限定されることに違和感を覚える。日本から見て西半分だけが近隣地域なのだろうか。日本から東に目を向けると、そこに太平洋の海世界が広がっている。そこはかつて日本が南洋群島と呼び支配していた地域である。本書がもう一つの近隣地域、ミクロネシアの島々に想像力の射程をのばす一里塚になればうれしい限りである。

日本という沿岸域の「海世界」に「地域」に焦点を当てる眼差しによって、一般的に発展から取り残されたと見られている「漁村」地域は、はたして現代においてどのような役割を演じることができるのか、期待を込めて再評価の作業にとりかかろうと思う。

2007年11月、凱風社(03-3815-7633:HP:http://www.gaifu.co.jp)刊。A5判232p。定価2200円+税。

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