2009年12月15日 (火)

舞鶴からのREIKO’S REPO「世界健康フォーラムに参加して」

舞鶴からこんにちわ!!

中村禮子さんからお便りをいただきました。

「先日(25日)、京都で第30回世界健康フォーラムが国際会議場でひらかれ、参加してきました。大変良いお話が聞けたので、と文章を書きました。食、体、心のハーモニーという、コンセプトが気に入りました。
夫は8月からの世界一周航海が終わり、中旬に帰ってきます。私はJICAのシニアボランテイアーで来春からモロッコに2年間赴任することになり、1月からの研修を前にフランス語の勉強を始めておりますが、なんとも脳が固まっているもので、大変です!」

添付ファイルのレポートを載せておきます。このフォーラムは、1月10日のNHKで全国放送されるので、その事前紹介レポートとしても簡潔に記され、「健康な心」からつくられる社会文化の大切さを考える機会になればと考えました。

《舞鶴からのREIKO’S REPO》

世界健康フォーラムに参加して

……中村禮子

 真っ赤な紅葉が彩を添えていた京都国際会館のメインホールで、NPO法人 世界健康フロンテイア研究会が主催する第30回世界健康フォーラムが開催された。それは世界保健機構(WHO),武庫川女子大学国際健康開発研究所が共催し、国連教育科学文化機関(UNESCO)、NHK,京都府、京都市、朝日、日本経済、京都の新聞各社などなど多くの団体の後援を得ての、大変大きなイベントであった。

 そのテーマは「世界の健康は食文化から」<寝たきり長生きから健康長生きへ>ということであった。参加者数は2000名を上回り、その9割方が女性であった。昨年の参加者は2700名で女性91%、男性6%で、年齢構成は60代34%、50代29%、40代18%、70代13%、30代4%、20代2%であり、その53%は主婦ということで、健康に感心を持つ人々のことが伺える。平日の昼間の開催ということも大きな要因である。

 なお、このフォーラムについては来年1月10日に、NHK教育テレビ、日曜フォーラム(18.00~19.00)で放映予定である。

 WHO西太平洋地域事務局長、尾身茂氏の講演、UNESCOからのメッセージ、WHO国際共同研究からのメッセージに続き、オーストラリア先住民の方によるアボリジナルの生活習慣病の現状と栄養によるリスクの軽減の研究発表や脳科学者の茂木健一郎氏の記念講演があった。脳科学の最新の研究結果で大変興味深いお話があったので紹介したい。

 私たちの脳には、最近分かってきたこんな特性がある。一言でいうならば、脳とは楽観的に生きないと活性化されないというのである。それはこれから起こる不確実なことに対して、人がどう感じるかが問題のようだ。つまり、これから起こる不確実なことに対して、不安を持つと脳は対応ができないので、不活性となるが、それをわくわくと楽しみに考えることにより、脳が活性化されるというのである。脳には本来そのような能力が備わっているそうである。

 それは、楽観的に考えられる人の心の中には安全基地が存在するからだそうだ。この安全基地とは子供の時にはその所在は親であるが、大人になると安全基地が本人の中にできてくるのであるが、不安に思う人はそれが十分にできていないということであった。しかし、諦めてはいけない。過去の記憶を見つめて、安全基地を育てることができるのである。そういえば、たくさんのことを経験している人はしていない人に比べると、これから起こることに対しての予測が可能になり、楽観できるからであろうか、そんな気がした。

 また、笑いとは人生における辛いことと悪いことをプラスに変えていくように作用するというのだ。何か大事なことを教わった気持ちになった。そういえば、ヨガで笑いというのがあり、大声をあげて笑うその業はそういう効能を知ってのものであった、と思うとインドの先達を敬服したい。

 脳の健康と体の健康は相関関係が大変大きく、美味しいものを食べることは脳にとっての栄養になるとのことだ。それは美味しいと思って食べることにより、脳が快感を感じると出てくる脳内モルヒネともいわれている物質、ドーパミン、セロトニン、βエンドロフィンなどが分泌され、より快感になる。また、一人で食べるよりも誰かと一緒に食べることにより、より美味しく感じられることは誰もが経験していることであるが、それは人間の脳の前頭葉(額の部分)にミラー(鏡)ニューロンという神経細胞があり、これが相手のしていることを自分がしていることのように感じる共感回路が活性化されるからであるという。さらには、脳をその気にさせるプラセーボ効果(思うことによってそのようになる)もあるという。だから、「病は気から」という言葉も科学的に実証されているようだ。そして、過去を育て、ユーモアのセンスを持って、楽しむ人生が素晴らしいことで、それが長寿につながるという最後の言葉でしめくくられた。

 その後、ミレニアムフォーラムとして、「寝たきり長生きから健康長寿へと」と題して、千葉商科大学教授の宮崎緑氏がコーディネーター務め、毎日走っている茂木健一郎氏(脳科学者)、黄な粉、ジャコ、大根おろしを入れたカスピ海ヨーグルトと和食を毎日食べている家森幸男氏(予防栄養医学者・健康フォーラムのオーガナイザー)、ラジオ体操を毎日して、歯の健康を気遣い、すべての歯が健全な横山清氏(日本セルフサービス協会会長)、京大のマサイといわれ、毎日8km走り続けている森谷敏夫氏(運動生理学者)、泳ぎと料理を楽しむ梅原純子氏(診療内科医)の各氏がパネリストとなり、パネルディスカッションが行われた。

 実はここに書かれた各氏がされていることは自分の健康法ということで、各氏が冒頭で述べられたことである。健康を保つための努力は、人それぞれにより行われているが、ここではそれぞれの専門分野からの視点に基づいての活発な意見交換が行われた。

 現代人は、昭和50年頃に人々が摂取していた一日の平均カロリーよりも300カロリーも少なく摂取しているのに、なぜ肥満や高血圧などの生活習慣病が多いのか。その理由は、生活が便利になったがために消費するエネルギー量が少ないからである、と単純明解な答えである。昔はもっと生活の中で体を動かすことが多かったことは身に覚えがある。

 さらに、エネルギー消費量の個人差も大きく、こまめに動く人、活動量の多い人はカロリーの消費量が大きいうえ、そういう人は基礎代謝量(何もしないでも消費するカロリー)も大きいそうだ。座るよりも立つ方がカロリー消費が20%増え、歩くとそれが3倍になる。階段を歩くと平地を歩く時の5倍のエネルギーを消費でき、これは安静時の10倍である。だから、日常の何気ない生活の中で、いかに心がけが必要であるかが良く分かる。もちろん運動ができれば、それがベストであろう。

 世界で一番の長寿を実現してきた沖縄からの移住者は、ハワイに移住した人々の中でも、大変健康で長寿の人が多いことが知らされた。それは沖縄の食習慣を持続した結果、高血圧の原因である食塩の一日平均摂取量が日本人の半分である6g、熱帯の豊かな果物により、病気のもとである活性酸素を抑える働きをするビタミンEの摂取量が多く、認知症が少ないことなどが要因である。大豆、魚、野菜をたくさん食べ、バランスの良い食事をしていると説明された。亜熱帯の気候もさることながら、みんなで仲良くいろいろなことを楽しんでいるということも大きな要因であり、元気で長寿の世界を覗くことができた。

 脳を活性化するには手先の細かい動きをすること。細かい家事のような面倒なことをすることが、より脳を活性化させることも知った。そして、脳を使う最良なことは体を使うこと、運動を含めてということである。さらに、自分の生き方をどう変えるかということが重要な課題である。それは何もしないで老いるか、喜びと楽しみを加えて老いるかが、自分の人生の鍵を握っている。分かっているようでも、こうしてはっきりといわれると、より心の中に定着する。

 パネルディスカッションの結論は野菜、魚、大豆をバランスよくとるというように、食べ物への配慮、運動をすることにより体を丈夫にすること、そして、心を楽しくすることで、食、体、心と大きな三つの要素が互いに関わりあってより良い健康が保たれるということで、それを心に深くとめることができた。帰りの地下鉄は率先して階段を利用して、ポジティブマインドで未来に対して楽観的に生きようと、軽やかな足取りになった。

(2009年12月4日記)

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2007年1月24日 (水)

斗鬼先生の江戸東京探検―海と陸との境界を歩く

「都市のエントロピーと海」斗鬼博士の玉稿到着

 [季刊里海]第2号の編集作業に入っております。わが編集主幹が書かねばならぬ原稿が山と積まれた資料とは裏腹にいっこうにすすみませんが、主幹から依頼を受けた豪華執筆人の先生方からは、装幀どおりの、ユニーク奇抜な原稿が年明け後、次々にメールのファイルに到着しております。

 現古東京湾探検の目玉の一つである、都市と人間について境界領域を語らせると驚天動地の面白さが売り物の江戸川大学で文化人類学を教えておられます斗鬼正一博士からさきごろ「都市のエントロピーと海」(仮題)の玉稿が到着しました。

 エントロピーとは何ぞや。主幹も横文字には弱いから、最近の政府の役人やらTOPやらがやたらカタカナ言葉を多用されると、コノヤローと思ったりしますが、我輩もローカルルールやらコモンズやらインスティチューションやら、ガバナンスやら、最近クチにすると、こいつはイカン、イカンと、あんまりお偉いさんたちの悪口もいえない自分に気がつきます。

 そうかエントロピーか。まあ、辞書的にいえば、「乱雑さ」「不規則さ」をあらわしますが、物理学用語とは違って、社会科学でいう場合には、カオス(混沌)の世界を表現するときにもつかうようです。今回、先生にお願いしたのは、江戸から東京へという、現代あるTOKYOの成り立ちを、陸と海との境界領域の変化を、陸地に残された海辺や海の名残をマチの片隅に訪ね歩きながら、語っていただこうという、ものでした。

 ちょっと前、中沢新一大先生が、「アースダイバー」を著されましたが、斗鬼先生には、考古学的な神話的な回帰にまではいたらないで、江戸という人造都市に回帰をこころみて、下町の名もなき小さな公園の隅の砂の交じった地面は、江戸の昔の海岸の砂であろうと、地面やら崖やら井戸の端やらおどろおどろしい処刑場跡やらお寺さんをめぐる探検旅行にこの一年間出ていただいた(ほっつき歩いていただいた)結果が、文章と写真によって読者にあらわにされるというものなのです。

 乞うご期待あれ。

◎そのメールのPSで、先生がご出演される人類学的サブカルチャー知識を披露しつつ「境界論」を語るテレビ番組があるそうです。その自薦文を読みたい方は以下の「続き」を読まれたし。

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2006年12月19日 (火)

多摩川河口で発見されたアサクサノリの鑑定論文が掲載されました

アサクサノリ鑑定論文が学会誌に掲載

Kikutiasakusanori01アサクサノリ養殖復活プロジェクトの藻類学研究者としての協力者である菊地則雄さん(千葉県中央博物館分館・海の博物館)が、執筆した、多摩川河口で発見した紅藻(アサクサノリ?)のDNA鑑定や生活史研究をまとめて「この紅藻はやはり〝アサクサノリだった〟」と結論付けた鑑定論文が、日本藻類学会の学会誌「藻類」54号に掲載されました。

論文のタイトルは「東京湾多摩川河口干潟におけるKikutiasakusanori02絶滅危惧種アサクサノリ(紅藻)の生育状況とその形態」(菊地則雄海の博物館・二羽恭介兵庫県農林水産技術総合センター)です。

同論文は学術論文ですが、とても重要な論文で、既存研究者たちの研究との対比と検証の末に結論付けていることから、これからの海苔養殖研究のためにもさらに研究が重ねられるきっかけとなればと、ご関心のある方は、MANAまでメールをいただければ、菊地さんに確認とご了解をいただいた上で、お送りしたいと思います。

●また、論文を読んでご意見等をいただければ、ブログ管理人あてのメールでも、本ブログへのコメントでも、菊地さんにも連絡をし、必要なら回答をしていただきます。(MANA)

写真解説(上)東京湾多摩川河口のアサクサノリ生育地。冬季に、干潟に生えるヨシの根元にアサクサノリが着生する。対岸は東京国際空港。(平成18年度マリンサイエンスギャラリー「アサクサノリ―ノリの自然誌」PostCardより)

写真解説(下)東京湾多摩川河口干潟のヨシの根元に生えるアサクサノリ(左)とその標本(右)。(同上)

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2006年10月28日 (土)

里海の白鯨―長谷部文孝さんからのおたより

[里海随筆]「山椒魚の故郷」の著者、長谷部文孝さんから「[里海]創刊、おめでとう」と、次のようなおたよりをいただきました。長谷部さんは、「さかな」という俳名で俳句の創作を続けられています。俳名の由来は、サラリーマン時代のお勤め先が、水産会社「宝幸水産」(現在は、日本ハム系列の「宝幸」という会社に名前が引き継がれています)。海外漁業や水産と関係の深い仕事を定年退職され、俳句にちなむ本誌掲載の随筆「山椒魚の故郷」で、平成10年、第4回「岡山・吉備の国―内田百閒文学賞」(財団法人岡山県郷土文化財団主催)を受賞(随筆部門・最優秀作品)されています。

長谷部文孝さんからのおたより

 里海随筆として「山椒魚の故郷」を掲載していただきありがとうございます。徳永 功さんの写真・イラストはいいですね。少年のころ、暮らした里山を思い出させてくれます。

 実は、最初に中島さんからお話をうかがったとき、山椒魚と里海がどうかかりあうのか、よくわからかったのですが、実際に雑誌を読んでみると、それほどミスマッチでもないようです。しかし、それにしても、里山と里海を結びつける必要が私自身の内部にあります。また、里海の随筆を書くことが元水産会社社員定年退職の私の使命でもあるような気もしてきました。

 そこで思いついたのは、「里海の白鯨」というテーマです。私が水産会社に勤務する強い動機になったのは、メルヴィルの『白鯨』です。

   白鯨を追って歴史の涯の海

 小笠原へクジラを観に行ったとき、洋上句会でこれを投句しました。俳句としての評価は疑問ですが、私のデビュー作であり、生涯のテーマでもあります。

 ただし、そのとき(平成五年)は、白鯨の落着先(永遠に憩う海)がわかりませんでした。もちろん、エイハブ船長のように、戦って共倒れにはなりたくありません。

 結局、里海の白鯨ではないか、と雑誌を読みながら思いました。だんだん、イメージがふくらんできます。(長谷部 文孝)

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