2007年1月24日 (水)

斗鬼先生の江戸東京探検―海と陸との境界を歩く

「都市のエントロピーと海」斗鬼博士の玉稿到着

 [季刊里海]第2号の編集作業に入っております。わが編集主幹が書かねばならぬ原稿が山と積まれた資料とは裏腹にいっこうにすすみませんが、主幹から依頼を受けた豪華執筆人の先生方からは、装幀どおりの、ユニーク奇抜な原稿が年明け後、次々にメールのファイルに到着しております。

 現古東京湾探検の目玉の一つである、都市と人間について境界領域を語らせると驚天動地の面白さが売り物の江戸川大学で文化人類学を教えておられます斗鬼正一博士からさきごろ「都市のエントロピーと海」(仮題)の玉稿が到着しました。

 エントロピーとは何ぞや。主幹も横文字には弱いから、最近の政府の役人やらTOPやらがやたらカタカナ言葉を多用されると、コノヤローと思ったりしますが、我輩もローカルルールやらコモンズやらインスティチューションやら、ガバナンスやら、最近クチにすると、こいつはイカン、イカンと、あんまりお偉いさんたちの悪口もいえない自分に気がつきます。

 そうかエントロピーか。まあ、辞書的にいえば、「乱雑さ」「不規則さ」をあらわしますが、物理学用語とは違って、社会科学でいう場合には、カオス(混沌)の世界を表現するときにもつかうようです。今回、先生にお願いしたのは、江戸から東京へという、現代あるTOKYOの成り立ちを、陸と海との境界領域の変化を、陸地に残された海辺や海の名残をマチの片隅に訪ね歩きながら、語っていただこうという、ものでした。

 ちょっと前、中沢新一大先生が、「アースダイバー」を著されましたが、斗鬼先生には、考古学的な神話的な回帰にまではいたらないで、江戸という人造都市に回帰をこころみて、下町の名もなき小さな公園の隅の砂の交じった地面は、江戸の昔の海岸の砂であろうと、地面やら崖やら井戸の端やらおどろおどろしい処刑場跡やらお寺さんをめぐる探検旅行にこの一年間出ていただいた(ほっつき歩いていただいた)結果が、文章と写真によって読者にあらわにされるというものなのです。

 乞うご期待あれ。

◎そのメールのPSで、先生がご出演される人類学的サブカルチャー知識を披露しつつ「境界論」を語るテレビ番組があるそうです。その自薦文を読みたい方は以下の「続き」を読まれたし。

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2006年12月19日 (火)

多摩川河口で発見されたアサクサノリの鑑定論文が掲載されました

アサクサノリ鑑定論文が学会誌に掲載

Kikutiasakusanori01アサクサノリ養殖復活プロジェクトの藻類学研究者としての協力者である菊地則雄さん(千葉県中央博物館分館・海の博物館)が、執筆した、多摩川河口で発見した紅藻(アサクサノリ?)のDNA鑑定や生活史研究をまとめて「この紅藻はやはり〝アサクサノリだった〟」と結論付けた鑑定論文が、日本藻類学会の学会誌「藻類」54号に掲載されました。

論文のタイトルは「東京湾多摩川河口干潟におけるKikutiasakusanori02絶滅危惧種アサクサノリ(紅藻)の生育状況とその形態」(菊地則雄海の博物館・二羽恭介兵庫県農林水産技術総合センター)です。

同論文は学術論文ですが、とても重要な論文で、既存研究者たちの研究との対比と検証の末に結論付けていることから、これからの海苔養殖研究のためにもさらに研究が重ねられるきっかけとなればと、ご関心のある方は、MANAまでメールをいただければ、菊地さんに確認とご了解をいただいた上で、お送りしたいと思います。

●また、論文を読んでご意見等をいただければ、ブログ管理人あてのメールでも、本ブログへのコメントでも、菊地さんにも連絡をし、必要なら回答をしていただきます。(MANA)

写真解説(上)東京湾多摩川河口のアサクサノリ生育地。冬季に、干潟に生えるヨシの根元にアサクサノリが着生する。対岸は東京国際空港。(平成18年度マリンサイエンスギャラリー「アサクサノリ―ノリの自然誌」PostCardより)

写真解説(下)東京湾多摩川河口干潟のヨシの根元に生えるアサクサノリ(左)とその標本(右)。(同上)

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2006年10月28日 (土)

里海の白鯨―長谷部文孝さんからのおたより

[里海随筆]「山椒魚の故郷」の著者、長谷部文孝さんから「[里海]創刊、おめでとう」と、次のようなおたよりをいただきました。長谷部さんは、「さかな」という俳名で俳句の創作を続けられています。俳名の由来は、サラリーマン時代のお勤め先が、水産会社「宝幸水産」(現在は、日本ハム系列の「宝幸」という会社に名前が引き継がれています)。海外漁業や水産と関係の深い仕事を定年退職され、俳句にちなむ本誌掲載の随筆「山椒魚の故郷」で、平成10年、第4回「岡山・吉備の国―内田百閒文学賞」(財団法人岡山県郷土文化財団主催)を受賞(随筆部門・最優秀作品)されています。

長谷部文孝さんからのおたより

 里海随筆として「山椒魚の故郷」を掲載していただきありがとうございます。徳永 功さんの写真・イラストはいいですね。少年のころ、暮らした里山を思い出させてくれます。

 実は、最初に中島さんからお話をうかがったとき、山椒魚と里海がどうかかりあうのか、よくわからかったのですが、実際に雑誌を読んでみると、それほどミスマッチでもないようです。しかし、それにしても、里山と里海を結びつける必要が私自身の内部にあります。また、里海の随筆を書くことが元水産会社社員定年退職の私の使命でもあるような気もしてきました。

 そこで思いついたのは、「里海の白鯨」というテーマです。私が水産会社に勤務する強い動機になったのは、メルヴィルの『白鯨』です。

   白鯨を追って歴史の涯の海

 小笠原へクジラを観に行ったとき、洋上句会でこれを投句しました。俳句としての評価は疑問ですが、私のデビュー作であり、生涯のテーマでもあります。

 ただし、そのとき(平成五年)は、白鯨の落着先(永遠に憩う海)がわかりませんでした。もちろん、エイハブ船長のように、戦って共倒れにはなりたくありません。

 結局、里海の白鯨ではないか、と雑誌を読みながら思いました。だんだん、イメージがふくらんできます。(長谷部 文孝)

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