2009年12月24日 (木)

「東京湾の社会学」講座で、講師をしてきました

東京湾と人の関わりの歴史(江戸前の海と食文化、海の道)

12月5日、江東区森下文化センターが主宰する平成21年度下期講座「東京湾の社会学」の講師を依頼され、「東京湾と人の関わりの歴史(江戸前の海と食文化、海の道)」というタイトルで話しをしてきました。

以下、Blog版『MANAしんぶん』に載せておきましたのでご覧ください。

http://manabook.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-4fcc.html

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月20日 (日)

「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会、成功裏に終了しました

《「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会》に参加されたみなさま、つごうで欠席されたみなさまへ

「「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会」無事盛会裏に終わらせることができました。はやいもので一週間がたちました。ご参加いただいたみなさま、また今回、都合がつかず欠席されたかたにおかれましても、ほんとうにありがとうございました。

参加人員は、遠方から駆けつけていただいた方も含めまして、およそ100名の参加を得て、開催することができました。

勉強会は、林しん治代表の開催趣旨説明、尾上一明さん、長辻象平さん、西野雅人さんのご講演に続き、河野先生の進行により、会場の参加者から寄せられた三人への質問、及びその他の総括的な内容の質問にそれぞれ回答し、さらにご意見を付け加える方式で活発な討議が行なわれました。

詳細には、質問回答内容の整理など後日まとめるつもりです。一般質問のなかで「勉強会の趣旨である東京湾の昔の姿を知り歴史を学ぶことはよく理解できましたが、この漁場図を勉強することによって、これからの東京湾をよくするために、具体的にどのようなアイデアが生まれるのでしょうか」云々という根源的な質問がありました。

質問者に納得していただける答えが出たかは、正直いいまして、自信がありません。
充分な討議時間を使って、これからの課題としてそれぞれが回答を出して行くことに取り組もうということで、終わることとなりました。

ただ、今回の勉強会では、東京湾のこれからを考えるため、「東京湾漁場図」という従来は正面から取り組んだことがない題材を提供し、その過去の先輩が残してくれた優れた情報の束を共通の財産として共有し、それぞれが課題を設定して行くための初歩を築くワンステップとはなったように思います。

懇親会の席では、この手法を使って伊勢湾や瀬戸内海や他の干潟や開域でも可能かもしれないね、という声が聞かれ、その具体的な情報交換もなされたようです。今後、今回の勉強会で、こうすればよかったという反省点を、そのような次回に取り組むかたがたに活かせるような「課題」の整理と、情報の公開提供を行なって参りたいと考えます。

ひとえに、皆様方のご協力ご後援によりまして勉強会を終了させることができましたことを重ねてお礼申し上げます。
すでに新たなとりくみにスタートです。

追伸のお願い:今回、制作し参加者に配布しました「明治41年『東京湾漁場図』を読む」(A3判カラー東京湾漁場図縮小図〔オフセット印刷〕付き)は、参加者への配布(約100部)の後、まだ残部が150部ほど残ります。会場費・会場案内などの協力者への謝礼等経費の一部は江戸前ESD協議会への助成(日本生命財団)でまかないましたが、テキスト及びカラー版縮小地図制作費、講師謝礼などに充てるため、テキストとカラー版漁場図の1セット:1500円(送料込み:2冊以降複数の場合1000円×冊数+郵送料500円)の販売をいたします。可能なかぎり残り全冊販売したいと考えております。

◎参加されなかったかたはもとより、参加され1セットはおもちのかたも、追加のご注文のご検討をお願い申し上げます。(注文は、事務局中島満:まな出版企画までFAXかメールでお願いいたします。)

2009年9月13日

「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会
代 表 林しん治
事務局 中島 満(電話:03-3319-3127 FAX:03-3319-3137 Mail:
CBA02310@nifty.com
江戸前ESD協議会 代表 河野 博

◎懇親会が勉強会終了後19時ごろまで、2号棟4階魚類学実験教室の実験テーブルを囲み、たった缶ビール1本(何本も挑戦される方もおりましたが)立食・立ち飲み方式で懇親の輪ができ、いろいろなはなしが展開されました。そのばで散会いたしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月26日 (日)

〔「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会〕開催のお知らせ

埋め立て前の現古「東京湾」の藻場干潟の姿を探ろう

江戸前の海はこんなにも豊かな漁場だった!!

「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会を開催します―ぜひご参加ください

MANAも参加して、かねてより画策してきた〔「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会〕を9月6日の日曜日に東京海洋大学で開催することになりました。講師には、「江戸の釣り」や「江戸釣魚大全」の著者で、科学ジャーナリスト・釣魚史研究家の長辻象平さんをはじめ、東京湾岸をフィールドに研究を続けてきた民俗学や考古学、そして現在藻場干潟の再生活動を続けてこられたかたがたにコメンテーターとして加わってもらって、残暑の午後半日の暑いトークショーになるはずです。

『「里海」って何だろう?』を考える重要なテーマがこの勉強会には含んでいます。

呼びかけ人の名前一覧を含んだ申込書付きのお知らせ文は

「Announce_090906_final4.pdf」をダウンロード

からお読みください。

また「東京湾漁場図」については、MANAの里海ブログ「泉水宗助「東京湾漁場図」ついにWEB公開」

http://satoumi.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-3371.html

をご覧ください。

====
「東京湾漁業図を読み解き、東京湾のいまを考える会」ご案内
主催:「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える会
共催:東京海洋大学江戸前ESD協議会
 東京湾の環境をよくするために行動する会(略称:東京湾をよくする会)
開催期日と時刻:2009年9月6日(日曜日)午後1時~5時(開場11時30分)
会場:東京海洋大学(品川キャンパス)大講義室(200名程度の収容が可能)
   交通手段:http://www.kaiyodai.ac.jp/info/access/access.htmlを参照してください。
予定プログラム:
○ 開会(13:00) 開会挨拶:林しん治(呼びかけ人代表)
○ 講演(13:15~15: 00)
① 東京湾漁場図に含まれた情報を読む―漁場図の成立と桜田勝徳:
  尾上一明氏(浦安市教育委員会)
② 江戸の釣り書「何羨録」を読む―江戸前の海はどんな姿だったのだろう:
  長辻象平氏(「江戸の釣り」著者・産経新聞社論説委員)
③ 明治期に記録された東京湾の魚介類相―農商務省水産局「東京湾漁場調査報告」と「漁場図」に描かれている現代へのメッセージ:西野雅人氏(魚類考古学研究・千葉県文化財センター)
○ 東京湾をどうする現場からのメッセージ(15:15~15:45)(10名ほど)
○ 総合討論:(15:45~16:50):質疑応答・意見のとりまとめ。
○ 閉会挨拶(16:50~17:00):河野博(東京海洋大学江戸前ESD協議会代表)
費用負担等:東京湾漁場図原図縮小複写及びその解説など資料代(1000円)を徴収予定。
事務局:中島満(Fax:03-3319-3137、E-mail:CBA02310@nifty.com

なお、「お知らせ文」には、もりこめなかったのですが、当日の開場の展示スペースには、

【企画展示】

①東京湾漁場図・何羨録など東京湾と漁業や釣り関連の原図・複写資料。

②現在までに発行・公開された東京湾関係の書籍・報告書・パンフなど資料。

③フリー展示コーナー(「あなたの足元にある・あった東京湾の姿をデジカメで撮影してコメントを添えて貼り付けてください。写真でなくても資料や昔の姿を写した画像や映像でもけっこうです」―東京湾に現存する藻場干潟のようすを、自然海岸・人口海岸・コンクリート護岸にかかわらず何でも知らせてください)

という内容の展示を、会場のスペースのゆるす限りしてみたいと思っています。

また漁場図入りチラシ(PDF版)も、準備中です。完成しましたら、送ります。

ぜひ、皆様のご協力をいただきながら、勉強会が盛り上がりを見せるような進行をしていきたいと思います。

*********************
まな出版企画(MANAしんぶん)
中島 満
〒165-0025 東京都中野区沼袋1-5-4
℡:03-3319-3127 Fax:03-3319-3137
Mail:CBA02310@nifty.com
URL:http://www.manabook.jp
Blog:http://satoumi.cocolog-nifty.com/blog/
*********************

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 3日 (日)

泉水宗助「東京湾漁場図」ついにWEB公開

水産総合研究センター図書資料(祭魚洞文庫等)デジタルアーカイブが開始されました。

 4月末、水産庁の研究機関「中央水産研究所」、現在は、独立行政法人水産総合研究センターに属していますが、その図書資料館の田渕館長からうれしい連絡が入りました。

「水産総合研究センター図書資料デジタルアーカイブ開始おしらせ:本日、当館では蔵書の歴史的資料のHP上での公開を順次はじめました。
第一段は、何羨録 ほか15点です。ごらんください。感想教えてください。」として、デジタルアーカイブのURLが次のように記されていました。

http://nrifs.fra.affrc.go.jp/book/D_archives/

「何羨録ほか15点」とあり、次の資料文献がネット上で、前文、全体像を、画像により各ページ、細部まで閲覧することができます。

(1)何羨録(かせんろく):津軽采女, 1723(享保8)年, 118丁, 24cm
(2)
水産図解:藤川三渓著,井上神港堂,1889(明治22)年,上下巻(40,30丁),27cm
(3)
東京名物浅草公園水族館案内:藤野富之助,瞰海堂,1899(明治32)年,17p.,19cm
(4)
少年教育水族館:山崎暁三郎,国華堂書店,1900(明治33)年,32p.,21cm
(5)
龍宮怪こはだ後平治(「こはだ」は魚偏に祭):談洲楼焉馬作,喜多川月麿画,山口屋藤兵衛,1809(文化6)年,15丁,19cm
(6)
第五回内國勧業博覧会堺水族館図解:金港堂,1903(明治36)年,69p. 図版23,22cm
(7)
第五回内國勧業博覧会附属水族館図:作者不詳,制作年不詳,3図秩入,76×56cm,写本
(8)
皇和魚譜(こうわぎょふ):栗本丹洲纂,大淵常範[ほか]校録,1838(天保9)年,50丁,27cm
(9)
水産調査豫察報告:農商務省, 1889-1893(明治22-26)年, 1-4巻
(10)
さかなつくし:歌川広重画,大黒屋版,1911(明治44)年,24cm,折本,1帖7図
(11)
東京湾漁場図:漁場調査報告 第五十二版:泉水宗助 1908(明治41)年 108×69cm 地図資料1枚
(12)
東西蝦夷山川地理取調図:松浦竹四郎著 多氣志樓蔵 1859(安政己未)年 38×52cm 28巻
(13)
曲寸准里内海深浅浜浦図:作者不詳,制作年不詳(幕末~明治初期),143×66cm,地図1枚
(14)
嘉永年中幕府にて調 内洋浅深図(江戸湾内):江戸幕府 嘉永年間(1848-1854) 53×76cm 地図1枚
(15)
江戸湾口水深図:游樂民画 1847(弘化4)年5月23日 39×52cm 地図1枚

どの資料も、MANAが公開を待ち望んでいた貴重かつ現代におても利用価値の高い優れた一級品のそれこそ重文級の文献ばかりです。

津軽釆女(つがるうねめ)の「何羨録(かせんろく)」は、江戸のつり書の原点のような「江戸湾」(東京湾)の遊漁としての釣り場を紹介した資料で、とても有名ですからご存知の方もおおいことでしょう。「龍宮怪こはだ後平治(りゅうぐうかいこはだこへいじ)」の作者の談洲楼焉馬(だんしゅうろうえんば)は、現在の立川談志の「立川流」の祖とされる江戸落語中興の人物であり、戯作者として知られている人です。

画像を見るだけでも楽しくなる作品です。江戸の庶民は、いまの魚名フェチのように、このような戯作や歌舞伎、往来物の魚尽くしや絵草子によって魚介の名称やその形態的な特徴を味とともに楽しんでいたのですね。「皇和魚譜」は、江戸時代の医者であり本草学者でもあった栗本丹洲(くりもとたんしゅう)が編纂した魚類の図譜で、国宝級の色彩豊かな図譜類のコレクションは国文学資料館のほうに移管されていますが、このように淡色ですが、その図譜の研究をするためには貴重な内容を含む資料が数多く含まれています。

これらの貴重な文献資料は、現在の民俗学を、研究者、パトロンとして支えてきた渋沢敬三の創設した私的博物館「アチックミューゼアム」のライブラリーとして知られる「祭魚洞文庫」の水産・漁業文献のセクションを、水産庁に設けられていた「水産資料館」が寄託を受け保蔵してきたものです。中央水産研究所が、現在の金沢八景に移転したとき、そっくりその「図書資料館」に移管され、漁業文書とともに保管され、一般の閲覧も可能になってきました。詳細は、同館のサイトに記されていますのでご覧ください。

「東京湾漁場図」「江戸湾口水深図」などの近世東京湾漁場資料はいま「里海」が論じられ「海の再生」が論じられるなか、とても重要な資料となります。

さて、「里海通信」で紹介する本題は、「東京湾漁場図」にあります。まず、本資料の解説をライブラリーから引用してみましょう。

○明治41(1908)年に千葉県君津郡真舟村櫻井の泉水宗助が、農商務省の認可を受けて発行した漁場図です。図中にたくさんの根や瀬や藻場が記されています。但し、明治漁業法(1909年)による漁業権が確定する前に作成されたものなので、漁業権の区画は記されていません。
  この漁業図と深い関わりがあるのが、『水産調査報告』(農商務省水産調査所,1892(明治25)-1908(明治41))の第7巻第2冊、第8巻第2冊、第9巻第1冊です。この冊の内容は、金田歸逸、熊木治平による『東京湾漁場調査報告』で、この中に「漁場誌」という一節があります。ここに出てくる漁場名と泉水宗助の『東京湾漁場図』に記された漁場名は一致しており、各漁場の解説を「漁場誌」で知ることができます。また。副題になっている「漁場調査報告第五十二版」の「第五十二版」とは、金田らの『東京湾漁場調査報告後編ノ二』(『水産調査報告』第8巻第2冊)の図版に振られた通し番号が第五十一版で終わっていることから、それに繋げた通し番号と考えられます。
(参考文献:桜田勝徳「東京湾の海藻をめぐって」(「日本水産史」日本常民文化研究所偏1957年所収)

つまり「図中にたくさんの根や瀬や藻場」が記されており、これらの詳細な位置、広さ、生息魚介などによって、現在、近代以降特に戦後埋立て開発によって失われた東京湾の漁場の江戸時代末じてんでの姿を移して見せてくれているのです。

MANAは、この「東京湾漁場図」の復刻図の刊行を企画し、添付する図の価値や読み方、また解説にも記されている農商務省が明治25年から20年以上もかけて行なった調査の「東京湾漁場調査報告」の現代語訳も含めて出版するつもりでしたが、資金面などの課題をクリアできず実現せずに現在まできました。

現在ここに、みごとに図の復元が、それもビューアーを駆使して細部まで読むことが可能になり、企画の大半を実現したのも同様です。とてもうれしい限りで、感謝感激です。

またこの図のこととと、「東京湾漁場図」を現代のわれわれに残してくれた「泉水宗助(せんすいそうすけ)」という人物は、いかなる人物であったのかについては、「泉水宗助を探せ」という、小文をまとめてありますので、ご覧ください。

「東京湾漁場図」制作者・泉水宗助を探せメモ:東京湾アマモ場・浅海域再生勉強会にあたって(2007年3月9日):「070309sensuisousukewosagaseMEMO.pdf」をダウンロード

解説文に「参考資料」として紹介されている『桜田勝徳「東京湾の海藻をめぐって」(「日本水産史」日本常民文化研究所偏1957年所収』についても、すでにテキスト化したものが手元にありますので、後日掲載していこうと考えています。

水産庁および水研センターの大ヒットと言えるでしょう。「里海」に関心がある多くのかたがたの利用を期待したいと思います。

(MANA:なかじまみつる)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月19日 (日)

「平和」学から「里海」学へのアプローチ

竹峰さんとの出会い。そして何人もの人々との出会いが続きました

 あっという間に5ヶ月がすぎてしまいました。MANAは、乗り越えなければいけないいろいろの雑事にあけくれる毎日でしたが、桜が散り、草木芽吹き、葉緑まぶしい時を迎え、なんとか、かんとか、ようやく、心に余裕と明るさを見つけることができるようになりました。

うれしいメールが届く

 人の出会いとはなんてすばらしいことなのでしょう。歳とともに鈍りがちな感性に刺激を与え、自信すら呼び戻してくれるのですから、いまさらながらおどろきを隠せません。そして自分を支えてくれてきた人々とのつながりの大切さに、いまさらながら気づかされるようになっているのです。

 2月にはいってからのことでしたが、一本のメールが入りました。[季刊里海]創刊号と『「里海」って何だろう?』(水産振興会)を読んでくれて、ぜひ直接会って話を聞きたい、というのです。三重大学に赴任したばかりという竹峰誠一郎さんというかたからでした。

海と人との絆(きずな)をどうとらえるか

 三重大学生物資源学研究科を中心に活動している「伊勢湾再生研究プロジェクト(社会系グループ)」に所属することとなり、これから、どういう視点で研究調査を進めていくかの方向を決めようと勉強中とのことでした。

 竹峰さんとその後電話で話してみると「海と人とのつながりについては自分なりに考えてきましたが、沿岸域と漁業や水産資源とのかかわりを〝里海〟というキーワードでとらえていく考え方に、どうも自分の中でしっくりこない点があって、伊勢湾〝再生〟という大きなテーマにどう取り組んでいくかの考え方を整理しているところなのです。」という。

 この次に、うれしい言葉を発してくれたのでした。

自然科学と社会科学のスタンスのズレはあるのか

「そんなおり、[季刊里海]と『「里海」って何だろう?』で示された里海をどうとらえていくかの論旨とそれに基づく事例を読み、自分がそれまで聞いてきた〝里海〟をとらえる自然科学的というか生態学的というか、水産学的というか、そういうかたがたの視点とはどこか異なって、人や社会と自然とのかかわりに幹をおいた考え方に、自分の研究スタンスと共通する視点を見つけました。」 というのです。

 どこかが違うのか、あるいは同じだけれど目指すところの方向性が違うのか、どのようなところが現在課題であり、テーマとして進化させていかなければいかないのかを探るために、「ぜひ直接お会いして、自分の疑問をあなたにぶつけてみたい。意見交換しましょう」というのです。

 いやあ、泣けるセリフですね。こういう人物にも、里海という言葉を使うことによってめぐり合えるのですから、ホント〝まってました〟という感じでした。

自然を破壊してきたことの反省をこめて

 MANAが、「里海」という言葉を使うようになったのは、新しい概念の提案というようなかっこのよいものではなかったのです。

 そうとうの昔から、歴史の用語で言うなら「近代」という時代を人が走り始めてから、富んだ国づくりにまい進するようになりました。日本人の暮らしと近接していた自然との関係は、同居(イソウロウなのかなあ)の関係から、だんだんと遠い距離をおくようになり、別居ずまいがあたりまえになってしまったのですね。ムラはマチの対立概念ではなくなってしまう時代がおとずれると、人と自然との関係は、いつのまにか逆転して、人の暮らしに都合のよい〝自然〟や〝ムラ〟〝ムラ〟であってほしいと思うようになるのですね。

 それがさらに、欧米の対立概念と同じような歴史性を秘めた隔離や例外的特別域につながる(というか、日本流で言えば放り出してしまった)ようなシゼンの領域やムラの出現に、それが生み出された原因もきちんと整理しないままに、「再生」や「創生」を語り始めていることに、ほんと危うさを感じているのは、MANAだけではないはずなのに、そういう論議を遠ざけている風潮がうまれているような感じがしてしようがないのです。

 西欧社会とアジア社会との比較の中で、人と自然との関係は、対立的概念と協調的同化概念というとらえ方をする整理もあるけれども、自然と溶け合って暮らしてきたとされた日本の人々が自然に対して為してきた行いは、どうであったのかと振り返ってみたとき、対立と協調のどちらの関係がよりよいのかというような評価や判定ができるような水準をはるかに越えた段階にまで日本という国はきちゃったんだなあというの実感です。

〝リセット〟すればいいのだろうか

 でも、そんな面倒なこというよりも、〝リセット〟すればいいじゃないかというのが、もっぱら最近の主流をなす声なのだろうけれど、それは、〝ちょっと違うだろう〟とむっとして、一面、あきらめ観をもちつつ独り言を言っていたのでは、どうもいけないのじゃないだろうか、と思うようにもなったのです。

 海については、海面埋立てによる沿岸開発の時代がずっと続いてきました。この評価と結果責任についてのきちんとした反省を伴ったケジメがあいまいにされながら、〝リセット〟論がまかり通っているような気がしています。破壊をしてきたり、理想的な計画を立てたけれど、その実ほとんど効果をあげ得ないまま、自然消滅してしまった〝豊かさ〟を標榜した公共事業の数々が行なわれてきました。こうした計画に直接間接にかかわってきた、私をも含めた実行者やその支援者個々、そうした〝張本人〟が、今、為すべきこととは、何かを考える必要があるのじゃないだろうか。

里海はかっこいい「ことば」なんかじゃない

〝里海〟を僕が言うときには、こんなことを考えながらですから、けしてかっこのいいものじゃないんです。

 「漁村」や「漁業」という地域的、産業的な概念の言葉が、沿岸地域とその地先の海を語るときに、これまでずっと使われてきました。しかし、10年ぐらいほど前から、沿岸域の人と自然域の利用について考えようとするときに、このような既存の言葉では、現状やこれからのことを言い表せなくなってきたのです。

 歴史の研究の世界では、網野善彦は、海沿いに住む人々の暮らしは「漁」だけではなく、海運や交易といった幅広いナリワイによって成立してきたのだから、「漁民」という表現より「海民」という言葉のほうがふさわしく、漁村という、「ムラ」の概念だけでとらえるのでなく、商業交易によって成立する「マチ」としての性格に注目しようと主張しました。

 いっけん「漁村」というと、孤立したムラであったり、閉鎖性の強いイメージが一般的であったのですが、実は、海でつながった〝開放〟的な性格をもってきたのです。 このような歴史的な変遷と反省を加えた位置づけによっても、そろそろ、沿岸域の地域概念や類型を改めてみるべき時期に来ていたのです。

竹峰さんの視界に写った「里海」観あるいは「海の再生」観への整理

 ちょうど、関いずみさん(海とくらし研究所主宰・東海大学准教授)からさそわれて、2月13日に「漁村研究会」で、「里海」について話をしてほしいと依頼されていたので、竹峰さんにそのことを伝えると、出席するとのことで、報告の前に2時間ほど意見交換をすることになりました。

 このときの話を、竹峰さんは、実に丁寧に整理をしてくれました。

竹峰誠一郎「里海とは何か」PDF

http://isewan.nikita.jp/09.03.08satoumi-takemine.pdf

「平和学」者の視点から、海と人と地域をどうとらえるのか

 実は、竹峰さんとメールを交換しながら、竹峰さんの専門が、国際関係学の一ジャンルである「平和学」であることを知りました。

 竹峰さんは、和光大学から早稲田大学大学院にすすみ、研究テーマを「米国の核実験場であったマーシャル諸島におけるヒバクシャ調査を(社会科学の観点から)進めてきた。本研究の最たる特徴は、ヒバクシャの視点により立脚して、核問題を見ていこう」(高木仁三郎市民科学基金第1回助成の調査研究報告より)というもの。高木基金助成による「マーシャル諸島アイルック環礁のヒバクシャ調査」を進め、修士論文は『マーシャル諸島アイルック環礁のヒバクシャによる核実験認識:ローカルから見たグローバルイシュー』。

 竹峰さんの平和学には、このようなスタンスから、地域と人と国家とのかかわりの中から「海」が語られることになりました。こうして、かれは、「伊勢湾再生研究プロジェクト(社会系グループ)」において、

竹峰誠一郎「サブシステンス志向の脱開発論の紹介」:

http://isewan.nikita.jp/09.03%20subsistence-takemine.pdf

という、研究調査のアプローチを語ることになります。沿岸域の開発と利用を考えるにあたって、これからどうしても議論しておかなければならない重要なテーマです。

「里海」を考える視点に、こうして「平和学」の視点が加わることは、MANAにとっても大きな刺激となったのでした。(MANA:なかじまみつる)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月10日 (金)

「里海の理念と水産環境保全」3.27シンポで報告してきました

MANAの〝つたない〟報告の背景にあるものを整理してみました

 2009年3月27日の今年の春季水産学会において開かれた水産環境保全委員会分科会シンポジウム「里海の理念と水産環境保全」に、パネラーの一人として呼んでいただきました。MANAによる報告はは、「地域ルールの実態に着目した〝里海〟の見方―漁場・漁村と里海の間にあるもの」というタイトルで、いつもながらの話しっぷりで話してきました。

2009年3月27日日本水産学会春季大会:http://www.miyagi.kopas.co.jp/JSFS/INFO/sj-info_184.html

水産環境保全委員会主催シンポジウム「里海の理念と水産環境保全」(PDF):http://www.miyagi.kopas.co.jp/JSFS/INFO/sj-info_184-002.pdf

MANA報告「地域ルール実態に着目した「里海」の見方」報告スライド:http://www.manabook.jp/090327localrool-satoumi.files/frame.htm

 当日、家を出る直前、犬の散歩中アクシデントがあり、午前中の部に出席できず(山本さんごめんなさい)、午前に報告されたパネラーの先生がたのお話を聞けないまま、午後の報告になってしまいました。僕の報告より、最後に報告した、福井県雄島漁協米ケ脇支所の松田泰明さんによる「漁師と市民、それぞれの里海。そこからの里海」がなんともすばらしかった。僕のほうは、いつもながら話べたで、本論を話す前に時間が来てしまいました。

なんで「掛布」地区なんだ!!

 これまで漁業権やローカルルールを現代の沿海域・自然域の管理と利用について「漁協・漁業者」と「地域」の役割を考えてきたことを、「里海」を考える視点から整理したことが、今回お話したいテーマでした。上記スライド「地域ルール実態に着目した「里海」の見方」は、恥ずかしながら、松尾さんの住んでいる地区(掛津)を、パソコン変換のなすがままに「掛布」地区としてしました。阪神タイガースファンとして、あとで松尾さんも笑って修正を了承してくれました(当然ですね)。そのスライドに誤植を修正し(まだあるぞ!)、舌足らずだった結論(1)に結論(2)を追加しました。ところが、WEB上でスライドを公開しても、追加した部分が公開スライドでうまくリンクしていないようなので、以下に結論(1)、結論(2)としてブログで再掲して載せておきます。

「地域ルール実態に着目した「里海」の見方」:結論(1)

○漁協・支所・地区の地域社会の役割分担:漁協が合併したり大型化すると地区単位の合意形成によるルール形成は、リーダーや地域の差もあるがむしろ円滑に進むようになる。

○地域外の人(ヨソモノ)と地域内の構成員と漁協等既存組織の交流の仲立ち機能:NPOやそれに順ずる団体が、漁協の担いずらい事業にたいして担い方を分散できる:生産活動・比生産活動・環境保全環境教育活動(市民的利用):ボランティア活動

○漁業的利用のみが主体となっている地域社会:漁業的利用と市民的利用とが共存する地域社会=この相違に目を向けてみるときに、地域社会の構成者によってのみ管理利用のルール形成およびその変更が可能となる自然領域の所有(漁業権、地先権、入会権)にかかわる対外的には「閉じた:閉鎖的」な慣行(ルール)を、現代社会経済の需要にあわせた可能な範囲での「自主的な開放」ルールをつくり提案することによって、生み出される「価値」を、活かす手法作り。

結論(2):さらなるまとめ

○沿岸域の海と陸の自然資源の利用と管理を考えるとき、ローカルルールの合意形成をはかる上での最小単位の地域実態Aに着目しよう。

○地域実態は、その地域の経済・社会・文化の歴史によってそれぞれ異なり(A1、A2……Ax)、それらの一あるいは、いくつかが重なって現在の行政区画の最小地域Bを作っている。

○AあるいはBの地先の海(浦浜)の関係が「里海」の実態である。

○旧来からの漁村や漁業地区の概念をあらたに見直し、合併の歴史や人口流出や新住民たる市民社会流入の変化要因を考慮しながら、現代その地域が実際に機能しているあらたな地域の概念を再構築する必要があるのではないだろうか。

○それらの地域実態が持続可能な経済社会を成り立たせる条件を満たす地域住民の意思(合意・政策への賛否など)に基づいた沿海域の自然資源の利用や管理、地域開発計画であるべきであろう。

○つまり、地域実態の数だけ多様な姿の「里海」がある現状を要件に含んだ自然資源利用管理計画が沿岸域政策をすすめる上で大切なポイントとなる。

 なお、今回の報告では、京都府網野町漁協の松尾省二さんとの出会いと、彼の掛津浜遊浦(かけつはまあそびがうら)の太鼓浜における共同漁業権漁場を入域して魚介を採捕したい市民に開放した意欲的な取り組み事例を取材できたことをとおして、とても大切な現代的な意味に気づいたことをお話してみたかったのが第一でした。

敷田麻実さんの沿岸域管理論の意味が理解できた

 また、もう一点は、この取材から、あるテーマが浮かび上がってきたことについてお話ししてみたかったのです。

 何年か前に、MANAが取材して記事(「漁協と共済」リレートーク)にした、

MANAインタビュー:北海道大学観光学高等研究センター教授 敷田麻実さん「もっと地域社会に開いていこう―これからの漁村・漁協がむかうかたちとは?―」:http://satoumi.cocolog-nifty.com/070514-85sikidasensei.pdf

北海道大学観光学高等研究センターの教授である敷田麻実さんが語った話の内容についてです。このときの意見交換のときには、気がつかなかった重要なテーマにつながっていることに、整理しながら気づいたことです。敷田さんを取材した時点では、敷田先生が、松尾さんや、松尾さんのお父さんたち地域の人々が行なってきた「琴引浜の環境保全活動」の意義を、沿岸域管理と地域の役割とを「ヨソモノ」概念を取り込みながら

「地域の沿岸域管理を実現するためのモデルに関する研究:京都府網野町琴引浜のケーススタディからの提案(敷田麻実、末永聡)2003年日本沿岸域学会論文集」:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34931/1/1255.pdf

を提案していたことに気づいていなかったのです。

 それが、MANAが「漁業権開放」のテーマ「里海」と沿岸域における「地域実態」のかかわりを追いながら考えを進めてきた段階で、このサーキットモデルの背景にある敷田先生の沿岸域管理の思想に気づき、敷田先生の言わんとすること、MANAがこれまで主張してきたこととが、〝ぴたっと〟あてはまったのですね。正直いいますと、「もっと地域社会に開いていこう」の記事を書いたときには、敷田先生が「閉じつつ」「開く」ということの、本当の意味には、気がついていなかったことが、今回よくわかりました。

海のコモンズ論成立のための一定の条件(ハードル)を越えるためには?

 また、今回の沿岸域における「地域実態」の報告の整理によって、これまで考えてきて、うまくまとめられなかった大切なテーマが浮かび上がってきました。

 コモンズ論が、注目されているなかで、なぜ「海のコモンズ論」をきちんと語る研究者が少ないのか、ということです。

 沖縄や東南アジアにおける海と人とのかかわりを語るときに、フィールドワークをもとに「コモンズの思想」展開する研究成果はたくさん出て、このことにおいては、とても大切なテーマとして、注目し、評価をしてきました。

 しかし、この「コモンズの思想」の延長線上に、日本全国の海(沿岸域)を考えたときの海と人とのかかわりにおける沿岸域の利用と管理についての一般理論が、うまくのってこないことに、気づき、どう考えていったら、ぴたっと一致してくるのかなあと、常々思ってきたのです。

『ローカルルールの研究』をMANAも加わって出版し、その著者の一人である池田恒男先生らが、「〝コモンズ論〟と所有論」(池田分担著)、「近代土地所有権論再考」(牛尾洋也分担著)から「コモンズとしての入会」(鈴木龍也分担著)などを含めた『コモンズ論再考』(晃洋書房)の提起した意味をこめて、海におけるコモンズ論を成立させるためのいくつかのハードルとしてとらえてきたのですが、「漁業権」の沿岸地域における役割や機能にたいする「攻撃」があちこちにくすぶって(攻撃される理由がよくわからないままに、あちこちで漁業権は現代にマッチしない権利であることの主張が噴出して)いる中で、どういう方向性、位置づけで整理をしていったらよいのかを考え続けてきたのです。

『コモンズ論再考』(晃洋書房。2006年):ブログ版「MANAしんぶん」「『コモンズ論再考』では何が提起されているのか?」:http://manabook.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_70c5.html

「海のコモンズ論」成立の条件というハードルを越えてしまえば、「里海」論であろうと、「沿岸域管理」論であろうと、「まちづくり」論であろうと、共有できる解決軸として「漁業権」の現代的な役割や機能をはめ込めることができるのではないか(つまり、正当性を持ったものとして:漁業権の正当性は如何ということに対する答えといえるもの)という気がしてきたわけです。

「漁業権」と「入浜権」との間にあるものは意外にしつっこい?!

 言葉を変えると、「漁業権と入浜権の間にあるミゾ」のスキマをどう埋めたらよいのか、ということであるのかもしれません。今年は、高崎裕士氏らが1975年「入浜権宣言」として提起した「入浜権」は、来年(2010年)で35年となったことを機に高崎さんの公式サイトでは、「入浜権宣言35周年記念インターネットシンポジウム」

http://homepage3.nifty.com/eternal-life/netsympo.htm#top

を解説していることを教えてもらいました。呼びかけ人のなかには、MANAと情報交換をしてもらっている何人もの方もいて、あるいみMANAが「漁業権」を考えていく過程で出会えたかたがたです。

 実は、MANAがテーマにしてきた「漁業権と入浜権とのあいだにあるもの」ということを、正面から考えている人というのは、あんまりいないということを、知っています。というより、間があって、そこがミゾになっていて、そのミゾを埋めないことには、先に進まない、それほど、深くてどろどろしたものが入り込んでしまったという、ことに気づいているかどうか、ということでもあるかもしれません。

 明治以来みんなが取り組んできた「近代化」の問題を乗り越えようと知恵を絞ってきたこと、あるいはそれほどさかのぼらなくても、戦後の経済発展のツケを総括的にどう乗り越えるか、というようなことに、取り組んできたけれども、現在、この〝究極的〟なテーマを語りたがらない雰囲気が充満している、そういう閉塞感を抱いているかどうかということでしょうか。結構にしつこいテーマが潜んでいるのです。

「海のコモンズ」論を成立させること、というのは、実はそんなことと同列にあるのではないか、と考えています。ようやく、そうした流れを前に進ませる機が熟してきたのかなあ、とそんな感じを持つようになりました。

 今日は、ここまでにしておきましょう。(MANA:なかじまみつる)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 1日 (日)

グラフィケーション誌1月号にインタビューされました

新しい海の共有―「里海」づくりに向けて

富士ゼロックスが発行する「GRPHICATION」(グラフィケーション)誌の2009年1月号「特集-共用・共有知を考える」で、MANAをインタビューして、表記のタイトルで3ページGraphication1600901hyousiの記事にまとめてくれました。

同誌を編集制作する、ル・マルス(LE MARS)社の編集長、田中和男さんから昨年秋に電話があり、「里海」という新しいとらえ方について話を聞かせてほしい、ということでした。うれしい依頼であり、新聞記事にコメントが載るのではなく、いつも自分がやっていることを、聞かれる立場になって話し、それを記事にまとめてもらえるというのですから、こんなにありがたいことはない。

出来上がった3ページの記事をPDFにして載せておきます。

「Graphication0901satoumi01-03copy.pdf」をダウンロード

特集の巻頭には、「社会の底辺がじわじわとくずれる気配が強まっている。社会的経済的救済が必要なことは誰の目にも明らかだ。しかし、かつてない危機の全体は見えず、解決策は見えてこない。唯一、希望につながる手だてがあるとすれば、〝共〟に考え、〝共〟に行動する市民の自治意識である。〝共の領域〟を活性化し、かつての〝入会〟やコモンズに見られた〝共用〟〝共有〟の慣習を新たな知として現代にとり戻す試みをみんなで支え、広めていきたいものだ。」と、その企画意図を書いている。

私も同感である。たしかに、〝里海〟を考える視点というのは、海と人についてのかかわりの再構築というテーマにのぞむということなのだから、まさに、「海の入会」の現代的な意味や、その役割を地域と市民とで、もう一度考え直してみることにあるわけだ。

「海の共有」は、田中編集長がつけたタイトルだが、そろそろ、海の利用について、こう考えていかなければいけないときに来ているのであろう。また、冒頭に載る、環境経済学者であり、コモンズ研究について意欲的なとりくみをしている、室田武さんと三俣学さんのお二人の「環境・コモンズ・万人権」の対談は、日本における、人と自然領域と社会経済とのかかわりを、「入会慣行」を法制度の仕組みにうまく組み込んできた近代の歴史を振り返りながら、その評価と検証をかたり、最新のコモンズ研究成果を紹介して、ヨーロッパのコモンズの考え方との対比に話を進めている。三俣さんが最後に、結んでいる言葉を引用しておこう。

「三俣:日英の人会とコモンズの比較を、二〇〇五年にお亡くなりになった平松紘という法社会学者が深く研究をされていて、仮に日本で歩く権利などということを言い出したら、農山村では大騒ぎになるだろうとおっしやっています。たまたまフラッと入ったのは黙認しても、それが権利となったら、そんなものは認めないだろうと。日本の人会が地縁のない者には閉じている、そのことは令後、入会近代化という問題と合わせて考えなくてはいけないことだろうと、平松先生はずっと指摘されていましたね。
 その問題を、私は向こう〔イギリス・マン島の調査研究〕へ行って実感しました。絶対的に私的な権利というものはどこまで認められるべきか、一方、私的な権利をどこまで社会的に制限できるか、またその根拠となる正当性はどのような点に認められるか。これらのことは今後さまざまな分野で問題になると思います。
 北米のコモンズ研究者たちは、コモンズの一つの要件として、コモンズとその外部との関係が人れ子状になっていることが大事だと言う。そのためには、どのような入れ子構造になっているのかを当事者らが認識しなくてはならないと。
 その意味では、日本の人会はもう少し閉じつつも開いていくことが大切かもしれません。例えば人会間交流などを通じて。内部の協業関係を壊さないことを前提とし、共同できるところは外部に開いて、共的領域をもっと広げていくことも必要だと思っています。」

 私がインタビューの中で、里海についての視点でポイントなるのが「長い歴史の中で培われてきた〔漁業者・漁村地域と地先についての〕海のルールを基に、主体はあくまで漁業者とその地域の人が担うのですが、自主的に海の一部を開放し、新しい海の利用を考えようという動きが出てきたのです。これまでの沿岸の海は産業としての利用=漁業的利用と、漁業者をはじめ海沿いに住む人々の生活と結びついた利用=慣習的利用ガ中心でした、最近はここに、地域外、漁業関係者意外の人々による利用=市民的利用を加えて考えなくてはならない時代になってきた」という「海はみんなのもの」として、「海を開く」ことによる新しいルールづくりであることにふれました。「閉じつつ」「開く」、そうした選択をしていくときの地域実態に目を向ける必要があるのだろう。「海の共有」の達成しなければいけない課題が、そこにある。(MANA:なかじまみつる)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年1月30日 (金)

女性からみる日本の漁業と漁村

中道仁美編著『女性からみる日本の漁業と漁村』農林統計出版刊

Joseikaramirugyoson200611 女性の視点から漁業や漁村を語っている本は、そういえばこれまでほとんどなかったのではないか。本のタイトルのテーマだけからいっても、著者らの意欲的な、オリジナリティーあふれる活動が読み取れる。

『女性からみる日本の漁業と漁村』中道仁美編著・農林統計出版。2008年11月発行。A5判並製196ページ。

本の構成と担当執筆者:第1章「漁業の現状と女性の地位」(中道仁美)/第2章「漁業従事者における女性労働の位置」(三木奈都子)/第3章「陸上作業の再評価と女性の漁協正組合員化」(副島久実)/第4章「漁業地域における女性リーダーの育成」(藤井和佐)/第5章「環境と漁村女性」(関いずみ)/第6章「女性起業の直売活動と社会的展開」(中道仁美)/第7章「女たちと海」(木村都)/第8章「漁業における女性の研究史」(三木奈都子)

日本の漁村に生きる女性たちを民俗学の視点で著作した瀬川清子や、「婦人労働」研究の岩崎繁野が、この分野では先駆としてしられるが、1980年代以降の漁業情勢の変化を背景とした女性たちの活動や労働環境、漁村や漁業における役割の大切さにスポットを当てた専任研究者の報告は、非常に少なかった。

婦人部活動として魚食普及活動やセッケン普及活動、近年多くなった植樹活動といった行動の紹介はほとんどで、漁村という地域社会における位置づけや、漁業という産業の担い手としての女性の役割を正面からとらえようという視点が、残念ながら欠けていたということであろう。(書きかけです)MANA

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 6日 (火)

「里海」の氾濫

新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

旧年末に掲載した「文芸春秋」の涌井氏記事について、コメントをいただきまして、旧年12月24日の「毎日新聞」社説で「「里海」創生―海を身近にするチャンスに」が報じられたことを教えていただきました。

毎日新聞:2008年12月24日「社説」「里海」創生 海を身近にするチャンスに」

記事は、環境省の「里海創生事業」を解説しているもので、〝大新聞〟の社説の見出しに使われる認知度にまで高まったという事だろう。

これを機に、ひさしぶりに、ネットのGoogle検索サイトに「里海」を入力してみると、確か昨年の中ごろに同じことばの検索をしたときにくらべて、上位ランク(50番ぐらいまで)の記述内容内が、常連組みのほかに、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に登場していたり、一般のブログで「海」とほとんど同義で使っていたり、SATOMIちゃんのニックネームだったり、バリエーションがでていることに、正直驚いた。

あんまり「定義」にこだわる必要などもちろんないし、「里海」のことばがどんどん広まり、認知度が高まれば高まるほど、昔ながらの「海」や「漁村」を、なぜ「里海」と表現したほうがよいのかの「核心」からは、どんどんと離れていくことは、ある意味致し方ないことなのだろう。

ただし、漁業(農山村のナリワイも含めて)という自然産業の行く末、沿岸域管理と利用をどこに位置づけていくのかの、きちんとした議論を深めていくことが、そのベースにないと、行き着く先は、日本の海という環境の「箱庭」理論ばかりが横行するということにもなりかねない。おそらく、その方向にすでに針は動いているのかもしれない。

箱庭的里海論と実態的里海論との振り子の中心軸を論者となるオピニオンリーダーたちは常に頭に思い描いておくことがたいせつなのだとおもう。箱庭的里海論が実態的里海論を時代に逆行するといって〝批判〟を加える時代が、おそらくくるのであろう。

このネット時代、ことばの氾濫とひきかえに、つねにそういう犠牲を伴いながら、さらされながら、実を踏み外さないようなタフさが必要ということか……

MANA:なかじまみつる

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年12月 6日 (土)

田んぼにかける魚道

ふと、なつかしい風景を思い出しました

愛読しているメールマガジンの中で、官の調査機関発行にもかかわらず、とてもソフトで、しかも刺激的な記事をいつも掲載しているのが、「神奈川県水産技術センター・メールマガジン」です。数号前でしたが、アユカケ取材がきっかけで情報の交換をしてきた勝呂さんの「田んぼにかける魚道」の記事と、写真がとても印象に残ったので、転載許可を得て、里海ブログで紹介することにしました。(©神奈川県水産技術センターメールマガジン・
神奈川内水試・勝呂尚之さん)

○田んぼにかける魚道
 
Sugurotanbogyodo01_2 子供の頃、近所の田んぼの水路に、突如、シャベルカーが出現し、工事が行われたことがありました。何ができたのかな?と、様子を見に行くと、水路はコンクリートのドブと化し、魚やエビ、オタマジャクシなどでにぎわっていたはずの流れには、何もいなくなっています。とてもがっかりしてショックを受け、その近くを通る時には、無意識に水路から眼を背けるようになりました。

 最近は環境を重視し、生物と共存する時代へと変化しています。農業用水路の工事も見直され、生き物への配慮が行われるようになりました。そのひとつに魚道の設置があります。水路は人間の維持管理を重視すると、掘り下げられ、コンクリート化されます。その結果、水路と水田には大きな段差が生じ、生物の往来を分断します。

 実は、水田とその周辺の用水路は、水温が高く栄養が豊富なので、メダカ、ドジョウ、ナマズなどが産卵場として利用し、赤ちゃんの育成場になっています。そのため、水田の減少や水路の改変によって、これらの魚類は、全国的に減少しているのです。

 内水面試験場では宇都宮大学と共同で、絶滅危惧種のホトケドジョウとギバチに適した水田魚道の研究を行っています。主に千鳥X型とカスケードM型という二つのタイプを検討し、魚類行動試験室で魚を遡上させデータを収集しています。これまでに、ホトケドジョウには千鳥X型が適していること、カスケードM型では、魚道内の水深を確保することで利用できることなどがわかりました。

 また、屋外の人工河川「生態試験池」でも、この二つのタイプを並列で設置し、ギバチの遡上状況を調査しています(写真1)。水田周辺に生息する淡水魚に適した魚道を開発し、分断された生息環境を復元することで、メダカやドジョウがたくさん泳ぐ用水路を復活させることができればと考えています。

写真1:内水面試験場・生態試験池に設置された水田魚道(左;千鳥X型,右;カスケードM型)

「神奈川県水産技術センターメールマガジン・VOL.272 2008-11-14」より転載許可を得て載せています。本ブログからの再転載は不許可です。連絡をいただくか、同メールマガジン発行者に連絡してください。)

僕たちの子どもの頃には、田んぼのアゼの草ツミや、水路での水棲動物昆虫の採取が、遊びの常道でした。手づかみでコイやフナやドジョウを捕まえていると、「イタッ」とさされて真っ赤にはれてしまうことがよくあった。そう、ギギやアカザなどの「刺す」魚が、その正体だったが、いまや、それらの小魚たちは、希少魚類にされて、めったにお目にかかれない貴重なサカナになってしまった。

ここに報告されている「水田魚道」は、手作り感あふれて、小型木製水車のような懐かしい田園の風景を醸している。調査研究の正式の報告書を読まずして、直感で、このような試みをする感性にぐっと引き込まれてしまった。

転載許可願いのメールの返事に

「ちょっと寒くなってきたので、今は遡上していませんが、春先にはたくさんギバチが稚魚が遡上するではないかと期待しています。また、室内での試験も来週からはじめます。メルマガで紹介した魚道のほか、ハーフコーン型魚道もギバチに試してみます。また、近くにお出かけのときにでもお立ち寄り下さい。」(神奈川内水試・勝呂尚之さん)

とあった。早春、ギバチのこどもたちに会いに出かけてみることにしよう。 by MANA・なかじまみつる

| | コメント (0) | トラックバック (1)

より以前の記事一覧