2007年3月16日 (金)

泉水宗助を探せ!

「東京湾漁場図」(明治41年)を制作した泉水宗助ってどんな人だろう

 3月9日(金)に神奈川県水産技術センターが主催する「平成18年度第4回 東京湾アマモ場・浅海域再生勉強会」 が、横浜市波止場会館で開かれ、出席してきました(勉強会の内容については、リンク先をごらんになってください)。

 私のお目当ては、アマモ場再生の取り組みについて知りたいことはあったが、次の2つのプログラムを楽しみに参加しました。

(1)講演「横浜の海の森の過去から現在」横浜市漁業協同組合組合長・小山紀雄さん(聞き手:同センター工藤孝浩さん)

(2)「明治41年東京湾漁場図と旧版海図―温故知新」(県環境農政部水産課)

 金沢区の埋め立て前の小柴周辺の漁村と漁業、地先のアマモ場のようすを小山組合長がとてもわかりやすくはなしてくれました。(2)については、私が、だいぶ前から「東京湾漁場図」とその制作者「泉水宗助」(せんすい・そうすけ)について調べてきたこともあって、次のような小文をまとめ、参加者に配っていただきました。同文を以下に載せます。

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平成18年度第4回[東京湾アマモ場・浅海域再生勉強会にあたって] 
「東京湾漁場図」制作者・泉水宗助を探せメモ

 [季刊里海]第2号(もっか急ぎ編集中です)掲載の第1特集「現古東京湾を探検する」(仮題)では、今回の勉強会で使用される「東京湾漁場図」(明治41年農商務省監修、制作者:泉水宗助)の現代的価値について、民俗学研究者の尾上一明さん(元浦安市郷土博物館主任学芸員)と動物考古学研究者の西野雅人さん(元市原市文化財センター)及び編集主幹中島満により検討した論文・ノートを掲載するつもりです。

 東京湾漁場図が制作されるにあたっては、もともと明治10年代後半から農商務省水産担当官(金田帰逸技師・熊木治平技手)らによって調査されてきた東京湾の生物・海洋・地質を詳細にまとめた「東京湾漁場調査報告」(農商務省)のデータ、および現在震災と戦災により消失したといわれる海図制作調査資料が元になっています。

 図は、報告の付録として添付されたもののほかに、泉水制作図、東京帝国大学名の付された図など数種類があることがわかっていますが、原図の内容については、(詳細に対照していないため確証はないが)同一版によるものと推察されます。漁場図は、今回複写され掲示されているとおり、漁場、干潟や砂洲などの沿海域の性質ごとに、沖に向かって、いわゆる根・瀬・藻場の位置、名称を詳細に、古来から伝承されてきた地域名称によって記されており、現在広大な埋め立て開発用地造成により消失しているものがおおいだけに、現代の姿と対照させ、いわゆる「再生」目標の目安にするためにもとても貴重なデータであろうと思います。

 この図については、民俗学者で初代水産庁水産資料館長でもあった桜田勝徳による「東京湾の海藻をめぐって」(渋沢敬三先生還暦記念出版「日本水産史」1957年所収)と題する詳細な解説・研究があります。今回、前記尾上さんにより、「桜田解説を解説する」果敢な読解作業によって、桜田が歩いた東京湾の民俗誌および漁業誌を、現代の読者にわかりやすい情報知見として提供しています。

 また、1000ページ近い「調査報告」については、データ量の多さや旧字体による読みにくさを、西野さんによって、現代語表記および現代語翻訳(リライト)作業をしていただき、貴重な東京湾全体の明治期における自然生態の状況を読み取ることができることと思います。

 それと、桜田もその経歴についてまったく知らなかった泉水宗助とはいかなる人物であったのかということが、中島の興味の対象にずっとありまして、ぼちぼちと文献をあさって調べてきたものを「泉水宗助を探せ―漁民にして自由民権家、この人物ははたして何者であったのか?」という「ルポ泉水伝」を中島がまとめています。

 ということで、泉水宗助は、まだまだ文献が少なく、なぞが多い人物なのですが、どんな人間であったのか、昭和8年に千葉県君津郡木更津尋常小学校編・刊になる「第37号 郷土読本」中の「高学年用」編「郷土の先駆者」の第1番目に取り上げられた「泉水宗助」紹介を以下に全文引用(―本文続き―)しておきますので、ご覧ください。

 右上の写真は「木更津市史」に掲載(872ページ)されているものです。旧字体は新字体に、和数字は洋数字に置き換え、一部わかりやすくするために句読点の挿入、送り仮名をおくる等中島により最小限度の改変をしています。

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2007年2月20日 (火)

コモンズとマイナー・サブシステンス(菅豊さんに聞く)

「共的世界」とはどういう世界?

 インタビュー冒頭の部分を、未定稿原稿としてすこしだけブログに載せてみましょう。これから、完成原稿を元に、菅さんにもたくさんの加除訂正をしていただき編集上の構成をして6~7ページ程度の掲載本文に仕上げます。どんなタッチになるのか、さわりの部分を、興味のある方はご覧ください。

070201sugasanblog01_1里海インタビュー:東京大学東洋文化研究所助教授 菅豊さん(C)

「川はだれのものか―人と環境の民俗学」(2006年。吉川弘文館)

自著を語る……コモンズ論から現代を読み解く【未定稿】

――コモンズ論を考えようとするときの、現時点における、知の総合というか、そういうようなものが備わっているのがとても興味深い本です。まず、菅さんが、この本の中で、川といろいろな部分で深くかかわり、依存してきた川と流域住民の人々の世界を「共的世界」ということばで言い表していますが、まずこの言葉のもつ世界がどんな世界なのかから、お話しください。

【菅】 この本の一番重要なキーワードとして、まず「コモンズ」という言葉を使っています。「コモンズ」という言葉が、現在すこしずつ広まってきています。社会的認知も得られつつある言葉だとおもいます。まず、この言葉について整理をすることからはじめましょうか。

 日本にもさまざまな輸入語外来語があります。そのなかで、コモンズは、外来語概念なのですが、この言葉(コモンズ)は、いまだ翻訳されていない言葉なんですね。  これって、けっこうめずらしいことではないでしょうか。日本人は外来語をたくさん使いますけれども、その言葉のコンセプトを翻訳していくことが普通です。たとえば、コモンズ:commonsとかかわる言葉でいいますと、ソーシャル・キャピタル:social capital という用語が最近よく使われますが、これは「社会関係資本」(「ウィキペディア」同語参照)と翻訳されます。

 翻訳されたときに、はじめて、日本では、落ち着いた状態になってあてはまっていくことになります。では、なぜ、「コモンズ:commons」という言葉は翻訳できないのか、あるいは、落ち着いた翻訳で定着しないのでしょうか(「ウィキペディア」同語参照)。

 先日、京都で行われたコモンズ研究会(特定領域研究「持続可能な発展の重層的環境ガバナンス」ローカル・コモンズ班公開セミナー)で、同志社大学の室田武先生が本場イングランドのコモンズに関する現地調査の中間報告をなされました(室田武〈同志社大学経済学部〉「カンブリア地方のコモンズに関する実態調査報告―コモンズの祖国・イングランドとウェールズにおける2006年法制定に寄せて―」)。

 そこでは、在地の慣習としてのコモンズを取り扱われましたが、そのような、イギリスの在地の制度であり、資源であった実体としての地方慣習が、現在では世界的に広い意味で使われているのです。  この広い意味として(つまり広義)のコモンズという言葉を考えたときに、私が、今それに与えている訳語が「共的世界」という言葉なのです。ほんとうは、「共的なもの」とか、「共的な制度」や「共的な資源」といったほうが正しいとおもうんですけれど、もうすこし、大きくくるめて、制度や資源を含めるものとして「共的世界」という表現をしています。

 共的世界は、私のコモンズという言葉を使うときの認識と同じと考えていただいてけっこうです。共的世界というほうが、コモンズというよりわかりやすいのではないでしょうか。共的制度というときには、「資源」が抜け落ちますし、共的資源といえば「制度」が抜け落ちてしまいます。やはり、コモンズには制度と資源とが両方含みうる言葉だとおもいます。

 でも、共的制度というと、非常に厳密な社会制度のように受け取られてしまいそうですが、そうではないような「共的なもの」というのがけっこうあるんですよ。

 中島さんもご存知のように、海にいけば、漁業権とか共同漁業権のように、きちっと法律に定められて、それこそリジットに決まって、みんなで行うような制度もあれば、そうではなくて、おばあさんたちが、ちょっと海辺に行って、海草をとるとか小魚をとってくる。これは、みんなの認め合ったルールにはなっているんだけれど、「制度」にはなっていないんですね。文面に残してあるとか、法律に書かれて認められているとか、そういうものになっていないものもあります。

 そういう従来は抜け落ちていく、あるいは看過される現象を、コモンズという言葉、共的世界という言葉によって、掬い上げる、あるいは議論の俎上に載せることができるのです。その点で、これらの言葉を、私は重要視しています。

――農林水産業は、広い意味の生業というばあいでも、「業」がついています。ところがそれは、生業という暮らしの稼ぎにまでいっていないような、ふだんからのさりげないオコナイなんですね。しかし、それが、漁業権「制度」の底ささえになって、たいせつな機能をはたしているんです。これを、もっときちんとみていかなくてはいけない、評価していかなくてはいけないんですが、実は、あんまり評価されていないのです。

【菅】 そう、そう。その境目の線を引いたのは、たまさか、この100年ぐらいの間のできごとなんですね。近代的な法律の制度、概念が入ってきて漁業権という整理ができてからなんです。そのリジットな制度や概念にのっかかっていない暮らしの中の「約束ごと」のようなルールの言葉がたくさんあるんです。ほんとうは、これらは全部、一体となって、ひとくくりの話なのです。この部分が抜け落ちている感じがします。

――言葉から考えてみますと、私は、カタカナ語は弱いんですが、その抜け落ちている部分について、この本の最後の結論にあたるセクション「コモンズの現代的変容」のなかで「コモンズを楽しむ」という表現を使いながら「規定されない不確実さ」というように書いていましたね。この本のなかでは、言葉としては使っていませんが、現代における共的世界を理解するときに、とても重要な意味を提起しています。菅さんが共著者となって参加された篠原徹編著『現代民俗学の視点 Ⅰ 民俗の技術』(1998年。朝倉書店)の「深い遊び」として書いたテーマである「マイナー・サブシステンス」の世界のことをいっているのですね。私も、きちんと理解していない概念なので、マイナー・サブシステンスとはどういうことをいうのか、教えてください。

【菅】 マイナー・サブシステンス。一言で言えば「周縁的な生業」です。いままで、われわれというのは、いろいろな生産活動とか、日常の生活というのを、「経済」というものを軸として見てきたと思うのですね。つまり、金を稼ぐものか、金を稼げないものか、金を稼ぐとしたら、どれぐらい稼ぐか、そして、たとえばたくさん稼ぐと、「本業」ということになりますし、少ししか稼げなければ「副業」といういいかたになります。また、まったく稼げなければ、「遊び」だというような分類の仕方で、人々の生き方、暮らし方の活動を、それらの分類で切り分けていく。こういう見方があったと思うんですね。

 ところが、これは、切れないところがあるのだとおもいます。「マイナー・サブシステンス:minor subsistence」は、『民俗の技術』で「マイナー・サブシステンスの世界―民俗世界における労働・自然・身体」を執筆されている松井健(東京大学東洋文化研究所教授)さんが最初に提唱された概念です。

 なにが、マイナー・サブシステンスかという定義については、松井さんのご著作で確認していただければとおもいますが、このコンセプトの重要な点というのは、これまで、経済性というものだけで見て(評価して)いたもの、つまり「量の問題」で見ていたものを「質の問題」でとらえなおそうということなのです。これは、けっこう人類学、あるいは民俗学的な研究分野で、伝統的な生業とか、経済活動を扱う際においては、いわば「思考の転換」なんです。

  • 以下延々と菅さんのお話が続きます。ブログではここまでにしておきましょう。以下どんな内容が展開されるのか、[季刊里海]第2号で編集構成された記事でお読みください。この菅豊さんの発言文の引用転載は未定稿のため禁止します。
  • 構成:By MANA:なかじまみつる

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2007年2月18日 (日)

コモンズとマイナー・サブシステンス(菅豊著「川は誰のものか」を読む)

「川は誰のものか」の著者、菅豊さんに先日インタビューしてきました

 Kawawadarenoka_2 [季刊里海]第2号の編集過程の取材舞台をご紹介します。第2号から、この1年ぐらいの間で評判になった「里海」とかかわりのある、海と川と水辺を題材にした単行本・雑誌記事を10件ほど紹介することにしています。その1冊が、2006年1月吉川弘文館から発刊された菅豊著『川は誰のものか 人と環境の民俗学』です。

 この本は、新潟県の山形県に近い山北町大川郷の人々と、ムラを流れる河川、大川と近世以来から深いつながりをもって暮らし続けてきた、まさにそのことをテーマに、読みやすい文体で描いています。毎年秋になると日本海から遡上してくるサケを「コド」という昔ながらのシカケで捕獲する漁法:コド漁と、その漁を続けるムラビトたちの川と人との一体となったかかわりの意味するものを、20年もの長いフィールドワークの成果として読者に提示してくれました。

 本書が描く「川と人との民俗学」のテーマは、近年、環境と経済・社会を理解するための重要なキーワードとなっている「コモンズ」という概念を切り口として描かれています。いわば、伝統社会経済の仕組みの理解をとおして、現代社会経済が発展していくときのひとつの道筋を読者にしめしてくれているような、とても刺激的な内容です。現代にとっての民俗学が果たす役割とは何かというような、小難しいテーマを云々するよりは、「日本」におけるコモンズ論を理解するカギを読者それぞれのテーマの読み方において気づかせてくれる、その意味で、格好のコモンズ論入門の書という位置づけを与えてもよいのではないかとおもいます。

 紙面で短評する約10冊の本の中から、著者に直接、その本が誕生したエピソードを聞きながらまとめる「著者に聞く―里海インタビュー」を載せるつもりです。「川は誰のものか」を執筆された菅豊さんを、東京大学東洋文化研究所の研究室に、2月1日、訪問し、約2時間ほどお話を伺ってきました。菅さんは同研究所助教授で、専門は民俗学ですが、最近、とくに、緻密なフィールドワークを通してコモンズ論の数多くの論文を発表されています。

 今回は、「川は誰のものか」で描かれた伝統的な川と人とのつながりという「コモンズ」=「共的世界」が、現代の私たちが生きる「世界」に、どのように投影してきているのかを、できるだけわかりやすい対話形式でまとめてみたいと考えています。

 キーワードは、ずばり次の3つの言葉です。「コモンズという共的世界」「マイナー・サブシステンスの概念とは何か」「現代なぜレジティマシー(≒正当性)を論じなければならないか」です。じつは、この三つのキーワードは、「里海」をあえて海や水辺の世界に位置づけて論じようとするときに、あい通じる「窓」であり「扉」なのです。いろいろな人に登場していただこうとおもいます。

PS:インタビューのさわりの部分を菅さんに確認していただき、本ブログで紹介したいとおもいます。

インタビュー記事(その2)へ

By MANA(なかじまみつる)

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2007年1月24日 (水)

斗鬼先生の江戸東京探検―海と陸との境界を歩く

「都市のエントロピーと海」斗鬼博士の玉稿到着

 [季刊里海]第2号の編集作業に入っております。わが編集主幹が書かねばならぬ原稿が山と積まれた資料とは裏腹にいっこうにすすみませんが、主幹から依頼を受けた豪華執筆人の先生方からは、装幀どおりの、ユニーク奇抜な原稿が年明け後、次々にメールのファイルに到着しております。

 現古東京湾探検の目玉の一つである、都市と人間について境界領域を語らせると驚天動地の面白さが売り物の江戸川大学で文化人類学を教えておられます斗鬼正一博士からさきごろ「都市のエントロピーと海」(仮題)の玉稿が到着しました。

 エントロピーとは何ぞや。主幹も横文字には弱いから、最近の政府の役人やらTOPやらがやたらカタカナ言葉を多用されると、コノヤローと思ったりしますが、我輩もローカルルールやらコモンズやらインスティチューションやら、ガバナンスやら、最近クチにすると、こいつはイカン、イカンと、あんまりお偉いさんたちの悪口もいえない自分に気がつきます。

 そうかエントロピーか。まあ、辞書的にいえば、「乱雑さ」「不規則さ」をあらわしますが、物理学用語とは違って、社会科学でいう場合には、カオス(混沌)の世界を表現するときにもつかうようです。今回、先生にお願いしたのは、江戸から東京へという、現代あるTOKYOの成り立ちを、陸と海との境界領域の変化を、陸地に残された海辺や海の名残をマチの片隅に訪ね歩きながら、語っていただこうという、ものでした。

 ちょっと前、中沢新一大先生が、「アースダイバー」を著されましたが、斗鬼先生には、考古学的な神話的な回帰にまではいたらないで、江戸という人造都市に回帰をこころみて、下町の名もなき小さな公園の隅の砂の交じった地面は、江戸の昔の海岸の砂であろうと、地面やら崖やら井戸の端やらおどろおどろしい処刑場跡やらお寺さんをめぐる探検旅行にこの一年間出ていただいた(ほっつき歩いていただいた)結果が、文章と写真によって読者にあらわにされるというものなのです。

 乞うご期待あれ。

◎そのメールのPSで、先生がご出演される人類学的サブカルチャー知識を披露しつつ「境界論」を語るテレビ番組があるそうです。その自薦文を読みたい方は以下の「続き」を読まれたし。

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