2009年12月24日 (木)

「東京湾の社会学」講座で、講師をしてきました

東京湾と人の関わりの歴史(江戸前の海と食文化、海の道)

12月5日、江東区森下文化センターが主宰する平成21年度下期講座「東京湾の社会学」の講師を依頼され、「東京湾と人の関わりの歴史(江戸前の海と食文化、海の道)」というタイトルで話しをしてきました。

以下、Blog版『MANAしんぶん』に載せておきましたのでご覧ください。

http://manabook.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-4fcc.html

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2009年12月15日 (火)

舞鶴からのREIKO’S REPO「世界健康フォーラムに参加して」

舞鶴からこんにちわ!!

中村禮子さんからお便りをいただきました。

「先日(25日)、京都で第30回世界健康フォーラムが国際会議場でひらかれ、参加してきました。大変良いお話が聞けたので、と文章を書きました。食、体、心のハーモニーという、コンセプトが気に入りました。
夫は8月からの世界一周航海が終わり、中旬に帰ってきます。私はJICAのシニアボランテイアーで来春からモロッコに2年間赴任することになり、1月からの研修を前にフランス語の勉強を始めておりますが、なんとも脳が固まっているもので、大変です!」

添付ファイルのレポートを載せておきます。このフォーラムは、1月10日のNHKで全国放送されるので、その事前紹介レポートとしても簡潔に記され、「健康な心」からつくられる社会文化の大切さを考える機会になればと考えました。

《舞鶴からのREIKO’S REPO》

世界健康フォーラムに参加して

……中村禮子

 真っ赤な紅葉が彩を添えていた京都国際会館のメインホールで、NPO法人 世界健康フロンテイア研究会が主催する第30回世界健康フォーラムが開催された。それは世界保健機構(WHO),武庫川女子大学国際健康開発研究所が共催し、国連教育科学文化機関(UNESCO)、NHK,京都府、京都市、朝日、日本経済、京都の新聞各社などなど多くの団体の後援を得ての、大変大きなイベントであった。

 そのテーマは「世界の健康は食文化から」<寝たきり長生きから健康長生きへ>ということであった。参加者数は2000名を上回り、その9割方が女性であった。昨年の参加者は2700名で女性91%、男性6%で、年齢構成は60代34%、50代29%、40代18%、70代13%、30代4%、20代2%であり、その53%は主婦ということで、健康に感心を持つ人々のことが伺える。平日の昼間の開催ということも大きな要因である。

 なお、このフォーラムについては来年1月10日に、NHK教育テレビ、日曜フォーラム(18.00~19.00)で放映予定である。

 WHO西太平洋地域事務局長、尾身茂氏の講演、UNESCOからのメッセージ、WHO国際共同研究からのメッセージに続き、オーストラリア先住民の方によるアボリジナルの生活習慣病の現状と栄養によるリスクの軽減の研究発表や脳科学者の茂木健一郎氏の記念講演があった。脳科学の最新の研究結果で大変興味深いお話があったので紹介したい。

 私たちの脳には、最近分かってきたこんな特性がある。一言でいうならば、脳とは楽観的に生きないと活性化されないというのである。それはこれから起こる不確実なことに対して、人がどう感じるかが問題のようだ。つまり、これから起こる不確実なことに対して、不安を持つと脳は対応ができないので、不活性となるが、それをわくわくと楽しみに考えることにより、脳が活性化されるというのである。脳には本来そのような能力が備わっているそうである。

 それは、楽観的に考えられる人の心の中には安全基地が存在するからだそうだ。この安全基地とは子供の時にはその所在は親であるが、大人になると安全基地が本人の中にできてくるのであるが、不安に思う人はそれが十分にできていないということであった。しかし、諦めてはいけない。過去の記憶を見つめて、安全基地を育てることができるのである。そういえば、たくさんのことを経験している人はしていない人に比べると、これから起こることに対しての予測が可能になり、楽観できるからであろうか、そんな気がした。

 また、笑いとは人生における辛いことと悪いことをプラスに変えていくように作用するというのだ。何か大事なことを教わった気持ちになった。そういえば、ヨガで笑いというのがあり、大声をあげて笑うその業はそういう効能を知ってのものであった、と思うとインドの先達を敬服したい。

 脳の健康と体の健康は相関関係が大変大きく、美味しいものを食べることは脳にとっての栄養になるとのことだ。それは美味しいと思って食べることにより、脳が快感を感じると出てくる脳内モルヒネともいわれている物質、ドーパミン、セロトニン、βエンドロフィンなどが分泌され、より快感になる。また、一人で食べるよりも誰かと一緒に食べることにより、より美味しく感じられることは誰もが経験していることであるが、それは人間の脳の前頭葉(額の部分)にミラー(鏡)ニューロンという神経細胞があり、これが相手のしていることを自分がしていることのように感じる共感回路が活性化されるからであるという。さらには、脳をその気にさせるプラセーボ効果(思うことによってそのようになる)もあるという。だから、「病は気から」という言葉も科学的に実証されているようだ。そして、過去を育て、ユーモアのセンスを持って、楽しむ人生が素晴らしいことで、それが長寿につながるという最後の言葉でしめくくられた。

 その後、ミレニアムフォーラムとして、「寝たきり長生きから健康長寿へと」と題して、千葉商科大学教授の宮崎緑氏がコーディネーター務め、毎日走っている茂木健一郎氏(脳科学者)、黄な粉、ジャコ、大根おろしを入れたカスピ海ヨーグルトと和食を毎日食べている家森幸男氏(予防栄養医学者・健康フォーラムのオーガナイザー)、ラジオ体操を毎日して、歯の健康を気遣い、すべての歯が健全な横山清氏(日本セルフサービス協会会長)、京大のマサイといわれ、毎日8km走り続けている森谷敏夫氏(運動生理学者)、泳ぎと料理を楽しむ梅原純子氏(診療内科医)の各氏がパネリストとなり、パネルディスカッションが行われた。

 実はここに書かれた各氏がされていることは自分の健康法ということで、各氏が冒頭で述べられたことである。健康を保つための努力は、人それぞれにより行われているが、ここではそれぞれの専門分野からの視点に基づいての活発な意見交換が行われた。

 現代人は、昭和50年頃に人々が摂取していた一日の平均カロリーよりも300カロリーも少なく摂取しているのに、なぜ肥満や高血圧などの生活習慣病が多いのか。その理由は、生活が便利になったがために消費するエネルギー量が少ないからである、と単純明解な答えである。昔はもっと生活の中で体を動かすことが多かったことは身に覚えがある。

 さらに、エネルギー消費量の個人差も大きく、こまめに動く人、活動量の多い人はカロリーの消費量が大きいうえ、そういう人は基礎代謝量(何もしないでも消費するカロリー)も大きいそうだ。座るよりも立つ方がカロリー消費が20%増え、歩くとそれが3倍になる。階段を歩くと平地を歩く時の5倍のエネルギーを消費でき、これは安静時の10倍である。だから、日常の何気ない生活の中で、いかに心がけが必要であるかが良く分かる。もちろん運動ができれば、それがベストであろう。

 世界で一番の長寿を実現してきた沖縄からの移住者は、ハワイに移住した人々の中でも、大変健康で長寿の人が多いことが知らされた。それは沖縄の食習慣を持続した結果、高血圧の原因である食塩の一日平均摂取量が日本人の半分である6g、熱帯の豊かな果物により、病気のもとである活性酸素を抑える働きをするビタミンEの摂取量が多く、認知症が少ないことなどが要因である。大豆、魚、野菜をたくさん食べ、バランスの良い食事をしていると説明された。亜熱帯の気候もさることながら、みんなで仲良くいろいろなことを楽しんでいるということも大きな要因であり、元気で長寿の世界を覗くことができた。

 脳を活性化するには手先の細かい動きをすること。細かい家事のような面倒なことをすることが、より脳を活性化させることも知った。そして、脳を使う最良なことは体を使うこと、運動を含めてということである。さらに、自分の生き方をどう変えるかということが重要な課題である。それは何もしないで老いるか、喜びと楽しみを加えて老いるかが、自分の人生の鍵を握っている。分かっているようでも、こうしてはっきりといわれると、より心の中に定着する。

 パネルディスカッションの結論は野菜、魚、大豆をバランスよくとるというように、食べ物への配慮、運動をすることにより体を丈夫にすること、そして、心を楽しくすることで、食、体、心と大きな三つの要素が互いに関わりあってより良い健康が保たれるということで、それを心に深くとめることができた。帰りの地下鉄は率先して階段を利用して、ポジティブマインドで未来に対して楽観的に生きようと、軽やかな足取りになった。

(2009年12月4日記)

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2009年10月 8日 (木)

「MANAしんぶん」サイト閉鎖中のおしらせ

みなさまへのおわび

MANAのうっかりミスのため「MANAしんぶん」サイト、http://www.manabook.jpのドメイン更新手続きを忘れておりました。現在復旧手続き中ですので、1週間ほどおまちください。

MANA:中島 満

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2009年9月20日 (日)

「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会、成功裏に終了しました

《「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会》に参加されたみなさま、つごうで欠席されたみなさまへ

「「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会」無事盛会裏に終わらせることができました。はやいもので一週間がたちました。ご参加いただいたみなさま、また今回、都合がつかず欠席されたかたにおかれましても、ほんとうにありがとうございました。

参加人員は、遠方から駆けつけていただいた方も含めまして、およそ100名の参加を得て、開催することができました。

勉強会は、林しん治代表の開催趣旨説明、尾上一明さん、長辻象平さん、西野雅人さんのご講演に続き、河野先生の進行により、会場の参加者から寄せられた三人への質問、及びその他の総括的な内容の質問にそれぞれ回答し、さらにご意見を付け加える方式で活発な討議が行なわれました。

詳細には、質問回答内容の整理など後日まとめるつもりです。一般質問のなかで「勉強会の趣旨である東京湾の昔の姿を知り歴史を学ぶことはよく理解できましたが、この漁場図を勉強することによって、これからの東京湾をよくするために、具体的にどのようなアイデアが生まれるのでしょうか」云々という根源的な質問がありました。

質問者に納得していただける答えが出たかは、正直いいまして、自信がありません。
充分な討議時間を使って、これからの課題としてそれぞれが回答を出して行くことに取り組もうということで、終わることとなりました。

ただ、今回の勉強会では、東京湾のこれからを考えるため、「東京湾漁場図」という従来は正面から取り組んだことがない題材を提供し、その過去の先輩が残してくれた優れた情報の束を共通の財産として共有し、それぞれが課題を設定して行くための初歩を築くワンステップとはなったように思います。

懇親会の席では、この手法を使って伊勢湾や瀬戸内海や他の干潟や開域でも可能かもしれないね、という声が聞かれ、その具体的な情報交換もなされたようです。今後、今回の勉強会で、こうすればよかったという反省点を、そのような次回に取り組むかたがたに活かせるような「課題」の整理と、情報の公開提供を行なって参りたいと考えます。

ひとえに、皆様方のご協力ご後援によりまして勉強会を終了させることができましたことを重ねてお礼申し上げます。
すでに新たなとりくみにスタートです。

追伸のお願い:今回、制作し参加者に配布しました「明治41年『東京湾漁場図』を読む」(A3判カラー東京湾漁場図縮小図〔オフセット印刷〕付き)は、参加者への配布(約100部)の後、まだ残部が150部ほど残ります。会場費・会場案内などの協力者への謝礼等経費の一部は江戸前ESD協議会への助成(日本生命財団)でまかないましたが、テキスト及びカラー版縮小地図制作費、講師謝礼などに充てるため、テキストとカラー版漁場図の1セット:1500円(送料込み:2冊以降複数の場合1000円×冊数+郵送料500円)の販売をいたします。可能なかぎり残り全冊販売したいと考えております。

◎参加されなかったかたはもとより、参加され1セットはおもちのかたも、追加のご注文のご検討をお願い申し上げます。(注文は、事務局中島満:まな出版企画までFAXかメールでお願いいたします。)

2009年9月13日

「東京湾漁場図」を読み解き、東京湾のいまを考える勉強会
代 表 林しん治
事務局 中島 満(電話:03-3319-3127 FAX:03-3319-3137 Mail:
CBA02310@nifty.com
江戸前ESD協議会 代表 河野 博

◎懇親会が勉強会終了後19時ごろまで、2号棟4階魚類学実験教室の実験テーブルを囲み、たった缶ビール1本(何本も挑戦される方もおりましたが)立食・立ち飲み方式で懇親の輪ができ、いろいろなはなしが展開されました。そのばで散会いたしました。

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2008年12月 6日 (土)

田んぼにかける魚道

ふと、なつかしい風景を思い出しました

愛読しているメールマガジンの中で、官の調査機関発行にもかかわらず、とてもソフトで、しかも刺激的な記事をいつも掲載しているのが、「神奈川県水産技術センター・メールマガジン」です。数号前でしたが、アユカケ取材がきっかけで情報の交換をしてきた勝呂さんの「田んぼにかける魚道」の記事と、写真がとても印象に残ったので、転載許可を得て、里海ブログで紹介することにしました。(©神奈川県水産技術センターメールマガジン・
神奈川内水試・勝呂尚之さん)

○田んぼにかける魚道
 
Sugurotanbogyodo01_2 子供の頃、近所の田んぼの水路に、突如、シャベルカーが出現し、工事が行われたことがありました。何ができたのかな?と、様子を見に行くと、水路はコンクリートのドブと化し、魚やエビ、オタマジャクシなどでにぎわっていたはずの流れには、何もいなくなっています。とてもがっかりしてショックを受け、その近くを通る時には、無意識に水路から眼を背けるようになりました。

 最近は環境を重視し、生物と共存する時代へと変化しています。農業用水路の工事も見直され、生き物への配慮が行われるようになりました。そのひとつに魚道の設置があります。水路は人間の維持管理を重視すると、掘り下げられ、コンクリート化されます。その結果、水路と水田には大きな段差が生じ、生物の往来を分断します。

 実は、水田とその周辺の用水路は、水温が高く栄養が豊富なので、メダカ、ドジョウ、ナマズなどが産卵場として利用し、赤ちゃんの育成場になっています。そのため、水田の減少や水路の改変によって、これらの魚類は、全国的に減少しているのです。

 内水面試験場では宇都宮大学と共同で、絶滅危惧種のホトケドジョウとギバチに適した水田魚道の研究を行っています。主に千鳥X型とカスケードM型という二つのタイプを検討し、魚類行動試験室で魚を遡上させデータを収集しています。これまでに、ホトケドジョウには千鳥X型が適していること、カスケードM型では、魚道内の水深を確保することで利用できることなどがわかりました。

 また、屋外の人工河川「生態試験池」でも、この二つのタイプを並列で設置し、ギバチの遡上状況を調査しています(写真1)。水田周辺に生息する淡水魚に適した魚道を開発し、分断された生息環境を復元することで、メダカやドジョウがたくさん泳ぐ用水路を復活させることができればと考えています。

写真1:内水面試験場・生態試験池に設置された水田魚道(左;千鳥X型,右;カスケードM型)

「神奈川県水産技術センターメールマガジン・VOL.272 2008-11-14」より転載許可を得て載せています。本ブログからの再転載は不許可です。連絡をいただくか、同メールマガジン発行者に連絡してください。)

僕たちの子どもの頃には、田んぼのアゼの草ツミや、水路での水棲動物昆虫の採取が、遊びの常道でした。手づかみでコイやフナやドジョウを捕まえていると、「イタッ」とさされて真っ赤にはれてしまうことがよくあった。そう、ギギやアカザなどの「刺す」魚が、その正体だったが、いまや、それらの小魚たちは、希少魚類にされて、めったにお目にかかれない貴重なサカナになってしまった。

ここに報告されている「水田魚道」は、手作り感あふれて、小型木製水車のような懐かしい田園の風景を醸している。調査研究の正式の報告書を読まずして、直感で、このような試みをする感性にぐっと引き込まれてしまった。

転載許可願いのメールの返事に

「ちょっと寒くなってきたので、今は遡上していませんが、春先にはたくさんギバチが稚魚が遡上するではないかと期待しています。また、室内での試験も来週からはじめます。メルマガで紹介した魚道のほか、ハーフコーン型魚道もギバチに試してみます。また、近くにお出かけのときにでもお立ち寄り下さい。」(神奈川内水試・勝呂尚之さん)

とあった。早春、ギバチのこどもたちに会いに出かけてみることにしよう。 by MANA・なかじまみつる

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2008年4月20日 (日)

沖縄からの二つのニュースに注目

宮古島DS訴訟の決着「美ら海協力金」の仕組みに期待しよう

先月のある日、二つの漁業権にからんだニュースが、沖縄から届きました。まず、第一が、宮古島周辺海域で10数年間も係争が続いていた、地元漁協・漁業者と、ダイビング事業者とのあいだのダイビングスポット設置とその利用にからむ問題が、決着をみた、というニュースでした。

もう一つは、西表島の網取湾というほとんど未開発で、手付かずの自然環境がのこされた海域に、真珠養殖会社が真珠養殖漁業権設定の手続きを県に対して行ったことに、懸念をいだいたハゼの魚類学研究者からの情報でした。

いずれも、大型の地域開発がからむわけでもなく、全国ネットの情報には全くのることもないので、よほどの沖縄通か、専門の研究者以外、東京や本土に住むかぎりは、まったく知ることなく過ぎ去ってしまう特殊な地域限定マメネタ扱いのように思われがちです。ところが、この背景を探ってみると、海の利用と管理を考える上で、現代もっともホットな最先端をいく課題を提供している情報であることがわかってきます。Miyakodschuraumikyouryokukin

まず、宮古島DS問題の決着について簡単にレポートしておきます。ことの発端は、1997年にさかのぼります。宮古島エリアでダイビング事業を展開していたダイビング業者に対して、地元漁協の一つである「伊良部町漁協」の組合長らが、ダイビングの全面禁止等の仮処分申し立てを地裁宮古支所に行ったこと、でした。もう、それから10数年、漁業者とダイビング事業者との間で、何度もの裁判が繰り返され泥沼化を呈してきた事件ですから、どのような解決をしたか、とても重要なテーマを提供してくれることになりました。

どのような解決をしたのかだけを、先に書いておきます。

昨年半ば、地元漁協の役員改選が行われ、関係漁協の組合長らリーダーが交代し、地元漁業者とダイバー事業者とのあいだでの前向きな話し合いが、ようやく行われることになったのです。そうして、昨年末、約1年間をかけて、宮古地区三漁協と観光ダイビング事業者団体とで構成される「宮古地区海面利用協議会」で基本合意ができました。そして、今年の2月16日に、「宮古地域における海面の調和的利用に関する指針」(ガイドライン)が締結されたのです。このガイドラインにもとづき、「宮古地区海面利用連絡協議会」が設立され、愛称を「美(ちゅ)ら海連絡協議会」とし、「宮古地区における海面利用のありかた、海洋環境保全、観光ダイビング事業の振興、海洋資源保護培養等のために、海の利用者に対し《美ら海協力金》500円」(添付画像がその領収書にあたります)を負担してもらう「美ら海協力金」制度が、3月以降実施されることになりました。

以下に、ここまでに到る長い経過を触れておきます。私は、この宮古島DS訴訟については、それよりも数年前から問題化して、同じく訴訟になっていた、静岡県沼津市大瀬埼沖合いのDS裁判との関わりから、ずっと関心を持って取材を続けてきました。Churaumikyouryokukinmiyakods02

大瀬埼DS裁判は、地元漁協が設置したダイビングスポットを巡り、一ダイバーが、漁協を相手取り、ダイビングをするために地元漁協に支払う「潜水利用料」(潜水券購入代金1回340円)の法的根拠と、違法に基づく徴収であるから、これまで支払ってきた料金の返還を求めて静岡地裁沼津支所に提訴した裁判(「大瀬埼DS裁判」)です。

漁業権の法律的な性格を裁判所が判断をすることになるなど、潜水利用料という、海を利用するダイバーが支払う利用料金について争われた裁判は、これまでほとんど判例のありませんでした。それだけに、この裁判の審議過程、判決から、新しい海の利用をめぐる課題が見えてくる訴訟事件として注目してきました。このテーマに関心を寄せていた法律の専門家や研究者、漁業関係者らのあいだで、勉強会を行い、その結果を、2006年に『ローカルルールの研究―ダイビングスポット裁判検証から』(海の『守り人』論パート2)として1冊の本にまとめてあります。詳細を興味がある方は、それをお読みください。また、ブログ版『MANAしんぶん』の「ローカルルールの研究」カテゴリーにも載せてあります。

簡潔に、この二つの裁判の特徴と、その判決の内容(結論のみ)だけを示しておきます。

A)大瀬埼DS裁判:1993年提訴~地裁・高裁・最高裁・高裁差し戻し審の4度の判決で、2000年漁協側勝訴で、2001年判決確定。:確定判決の骨子は「漁協が設置したDSを利用する際に漁協に支払う潜水利用料は、漁業権侵害の対価としての性格を持つとも考えられ合法であり、原告のダイビング愛好者の請求を棄却。」漁協勝訴、ダイバー敗訴。

B)宮古島DS訴訟:1997年伊良部町漁協がダイビング事業者らに対し、「漁業権」水域内でのダイビングを妨害排除請求権にもとづきダイビングスポットの全面禁止を求めたもので、地裁、高裁とも、漁協側敗訴、ダイバー側勝訴。最高裁で2002年漁協側の控訴棄却し、判決確定。しかし、以後、損害賠償に関する民事訴訟が継続。

大瀬埼DS事件では、漁協が勝ち、ダイバー側が負け、宮古島DS裁判では漁協が負け、ダイバーが勝つという、ごく単純に一勝一敗の見かけの判断をしがちですが、そうではありません。この二つの裁判は、同じように漁業者とダイバーの対立があり、「漁業権」の性格について判断を求めている、という図式から成り立っているように見えますが、実は、根本的に、もともと、それぞれ海域における海の利用ルール実態が異なっていたのです。

つまり、こうです。

A)大瀬埼DS設置海域:地元漁業者と漁協と、ダイビング業者とダイバーとの間に、地域自治体も介して、ながい話し合いの末に、それぞれ関係者の合意に基づきDS利用水域と利用料支払いの地域ルールが作られ、円滑に機能していた。→ダイバーが安心して利用できる水域になっていた。→海域の利用と管理について安定性の存在。

B)宮古島DS係争海域:地元漁協とダイビング事業者との間に双方の話し合いによって合意した地域ルールができていなかった。→漁業者のリーダーによる一方的な原則ダイバー排除の考え方と、漁業者主導による利用料の設定などの実態がある海域であった。→つまり、ダイバー(一般的な海のレジャー利用者)にとって、安心して利用できる水域ではなかった。→海域の利用と管理についての安定性の欠如。

違法性のない海の利用について考える限りにおいては、地域で合意して安定的に機能しているルールの存在の可否が、一方で「漁協側勝訴」、一方で「漁協側敗訴」の裁判官の判決が導かれたという背景が存在しているのではないかという仮説に基づく「実態」に着目しようと考えたのです。この、安定した地域の合意に基づいて形成されたルールを「ローカルルール」と呼ぼう、という提案が、前述した「ローカルルールの研究」の導き出した結論の一つででした。

そして、宮古島の10数年もの永い係争の歴史が、昨年6月の地元漁協のリーダーの交代によって、地元漁業者とダイバー事業者とのあいだでの前向きな話し合いの場作りがようやく出来上がり、昨年末、約1年間かけて、宮古地区三漁協と慣行ダイビング事業者団体とで構成される「宮古地区海面利用協議会」で基本合意ができ、今年になって、2月16日に、「宮古地域における海面の調和的利用に関する指針」(ガイドライン)が締結されたのです。

このガイドラインにもとづき、「宮古地区海面利用連絡協議会」が設立され、愛称を「美らうみ連絡協議会」とし、「宮古地区における海面利用のありかた、海洋環境保全、観光ダイビング事業の振興、海洋資源保護培養等のために、海の利用者に対し《美ら海協力金》500円」を負担してもらう「美ら海協力金」制度が、3月以降実施されることになりました。

地先の海の利用が、安定的に、そして安全に実施されるということの前提には、前述したように、地域の関係者どうしの合意に基づく自主的に創出された「ローカルルール」の存在が前提になると書きましたが、宮古島の海にも、こうして、また、一つ。、宮古島方式による「美ら海協力金」制度という「ローカルルール」が誕生し、これから、育っていくこととなったのです。

詳細な内容は、別信にてまた書くことにします。次に、西表島網取湾でおきた真珠養殖漁業権設置の問題をレポートしましょう。(続く)

By MANA:なかじまみつる

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2008年1月 2日 (水)

謹賀新年 2008年子年 その2

千魚の眼―魚へん歳時記の連載始めました

MANAのサラリーマン時代(S社)に一緒に仕事をしたM女史と会合で立ち話をしたおり、女史が編集担当をしている誌面への投稿話となり、MANAのエッセイをのせてくれることになりました。

キリのよいところで、平成20年新年号からということとなり、その第1回目の原稿が「水産界」という雑誌に載っておるはずです(もう発行されているのかな?)。

○第1回(08年1月):ゴマメ、鱓、小万米(PDF2ページ)

連載のタイトル「千魚の眼」は、文化4年生まれで江戸末から明治にかけて奇人の名をほしいままにした漢方医学者であり漢学から本草学、文学、までスーパーな才能を発揮した森立之(もりりっし:森枳園:1807~1885)の未刊手稿「千魚一観録」(せんぎょいっかんろく:国会図書館蔵写本)からとりました。江戸考証学の狩谷エキ斎最後の弟子であり、森鷗外の歴史小説「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」のもう一人の主役(MANAの勝手な解釈です)としてしばしば交遊(友)の人物として登場する人物ですが、明治になってからも西洋の学問(医学・生物・魚類・植物学など)には背を向けて、わが道を行く〝反科学〟的思考・行動・言動を貫徹したへそ曲がりであったことから、正当な評価には程遠い扱いをされ生涯を終えた人物です。

このあたりのことは、また別の機会に触れることにしましょう。「千魚」を国会図書館書誌では「干魚」(かんぎょ)と読んで「かんぎょいっかんろく」としていますが、MANAとしては、本文の記述内容から「せんぎょ」と読むほうが適切ではないかと考えています。水産学者でウナギの生態研究で知られる松井魁博士も名著「書誌学的水産学史並びに魚学史」(1983年、鳥海書房刊)において、そう読んでおり、「魚類をその産地、形状によって、其の種類、性質を知りうるものとして、その分類法37条を記した最初の日本人による分類」として、同書(写本・国会図書館蔵)、および松井博士蔵「魚仙新説」(自筆稿本)の翻刻・読み下し文を45~54ページにのせています。

松井博士は、日本に魚類学を定着確立させた「Jordan,Tanaka,Snyder 1913」(「日本産魚類目録」:A Catalogue of the Fishes of Japan)に至る過程に、日本における漢学と本草学と生物学とをつなぐ重要な人物としてきちんと評価をした、初めての生物学者であったのだと思います。

「千魚一観録」の冒頭部分のみ引用しておきましょう。

「(一)鰭セビレ小ニシテ頭尾カシラヲノ中央ナカバニ位クラヰスル魚ハ  水面(ミヅ)ニ浮遊(ウキ)シテ群行(ムレユク)ス/(河)ウルリコ 蒲魚 モロコ 公魚 ヲモト 渓斑 ハエ [條]魚 イワシバエ ヤナギバエ ノロマバエ オヒカワ オホバエ/(海)ヒシコ ウルメ イワシ……以下略」

日本の近世科学思想や哲学が維新を経て、近代科学へと体系化する過程には、本草学や考証の学としての漢学、そして国学思想の蓄積があることを見逃してはならないと考えておりますので、その意味において、森立之という人物は、幕末から明治の伊藤圭介や田中芳男らの系譜とはまた別の位置づけを与えなければいけない、これまで着目されてこなかった人物たちのなかでキーマンになるはずと考えております。

というような意味におきまして、MANAが光を当てたい人物の中でもナンバーワンである森立之を念頭におきながら、この雑文を書き進めてみようと考えたのです。

俳句の季語とはすこし異なるかもしれませんが、年中行事や四季祭事や中国における四民月令の世界にも意識をおきながら、旧暦世界の味な暮らし方に眼を向けながら、サカナの話題を中心にすえて「魚へん歳時記」というサブタイトルを与えてみました。

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